スーパースター。
自分の人生で
最初に遭遇したスーパースターは
残念ながら、サッカー選手ではなく
“ ランディ・バース ” でした。
2年連続3冠王を取った最強助っ人外国人。
「 ファミスタ 」でも最強でしたね。
そんな憧れのスーパースターがつけていた
背番号「 44 」と同じ年齢になりました。
30歳や40歳になるときは
ちょっと感慨深いものはありましたが
こんな中途半端な数字で感じたのは初めて。
きっとそれは
ひたすら打ちまくるカッコいい姿だけでなく
ホームランの日本記録がかかった巨人との試合で
ほとんど敬遠され勝負させてもらえなかったときの
理不尽さを受け入れた器の大きさや
病気になった子供の治療を優先することで
阪神を解雇されてしまったときの家族想いの姿にも
子供心に感じるものがたくさんあったんだろうなと。
今では野球をすることも見ることもないのに
いまだにこうして感慨深い気持ちになるんだから
幼少時代のスーパースターの存在ってスゴイ。
ちなみに
サッカー選手での最初のスーパースターは
元オランダ代表 “ マルコ・ファン・バステン ” です。
ミュージシャンの “ 高木正勝さん ” が
インタビューでこんなことを語っていたのですが
この「 究極的にやりたいこと 」って
まさに自分もそうだなぁ、と思ったんですよね。
『 僕、自分の人生で
究極的に何がしたいかといったら、
感覚を広げたいだけなんじゃないか
と思えてきたんです。
解像度を上げたいというか、
今まで見えてなかったところまで
ちゃんと味わいたい。
本当だったら100まであるところを
30くらいしか味わってなかったら
もったいないですよね。
ピアノを弾いていても、
毎日少しずつ発見があって、
今まで何で気付いてなかったんだろう
っていう単純な事実に驚かされるんです。
「 ここまでだと思ってたのに、
こんなに味わえるんだ! 」
って。
そういうときが生きていて一番楽しいし、
それしか求めてない気がします。
本を読んだり、誰かと話したり、
何かを経験したりするのも、
「 まだこんなにあったんや 」
って感じたいから。
なんとはなしの不満や不安、
欠乏を感じているのって、
それが感じられないときだと思うんです 』
この前の甲野善紀先生の稽古会でも
最近久しぶりに参加できてるフットサルでも
それこそ毎回の子供たちの練習や試合でも
今まで見えていなかったことがどんどんと出てきては
その度に「 なんで気づけなかったんだ… 」
という悔しい想いと共に
世界が広がった喜びがあって。
自分が生きている間に味わえることって
世界の中の本当にごくごく一部でしかなくて
でもだからこそ、できるだけ多くのことを感じたいし
それを誰かと共有できたら
そんな嬉しいことはないよなぁ。
今のところは歳を重ねていくほどに
感覚が広がってきている実感があるから
これからも、これからも。
誕生日の翌朝
光葉の実家ネコ “ よっぴん ” がその生涯を終えました。
19歳、大往生でした。
うちらが遊びに行くと必ず
よっぴんは「 にゃー 」と出迎えてくれました。
うちら人間のことも、他のネコのことも
すべてをそのまま受け入れていました。
天気のいい日は庭をパトロールしたり
土の暖かさを感じるように地面に寝転がったり。
大好物の乳製品がテーブルにあるときだけは
子供のようにおねだりしまくっていました。
にゃー にゃー にゃー
そんなよっぴんが大好きでした。ありがとう。
よっぴんのおかげで
ネコのことがさらに好きになりました。
いつか自分の人生の幕が下りたとき
サッカーがさらに好きになりました
人間のことがさらに好きになりました
なんて言ってくれる人が現れるんだろうか。
そんなの難しいよ。
自分の生き様をもって
ネコ好きを増やしたあなたは本当に立派でした。
バースみたいです。スーパースターです。
ありがとう、ほんとありがとうね。
『 目的地が大事なのではありません。
景色の変化が大事なのです 』
ブライアン・イーノ( ミュージシャン )