Football × Journey = Pura Vida!

Pura Vida!とは中米コスタリカの挨拶でよく使われる「素晴らしい人生だよ!」の意味。

実現したいこと。

 

昨日アップした

「 糸島合宿 」についてのブログを書いてるとき、

 

tetsufootball.hatenadiary.jp

 

イカれたメンバーたちとのことを書いた

昔の記事を探していると、2年ほど前の

「 31年目の新発見 」という記事に辿り着きました。

 

ボールを蹴り始めて

31年目にして初めて発見したこと、

について書いたものなのですが、

あらためて読み返してみたら、

自分がサッカーコーチとして

日本で実現したいことが言葉になっていたので

忘れないようにの思いも込め

全文そのまま再掲載させてもらいます。

 

 

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小学校3年生のとき、
いつものように野球をやりたかったのに、
なぜかその日は「 サッカーやろうよ! 」
と誰かが言いだし、みんなもそうだそうだと。


オレは

スイッチヒッターの練習をしたかったのに、
( ビジュアル的に
     カッコいいんじゃねえかという理由で )
渋々そのサッカーに付き合うことになったのでした。


で、これまた「 なぜか 」で、
渋々ではあったんですが、
反対はしなかったんです。

当時いつも遊んでた仲間のなかでは、
あれしよう、これしようという
仕切りたがり役だったのに。

サッカーがしたいなんて
1%も思ってなかったのに。

というか、
サッカーがそもそもよくわかってなかったのに。


校庭ではなく、
団地前の小さな道でやることになりました。


友だちが
ネットに入れてきたボールを道に転がして、
なんとなく始まったんです、
ただ蹴り合うみたいな形で。


そして、ボールはオレのところに。
思い切って「 えいっ 」って
蹴っぽってみたんです。




「 !!!!!!!!!!!!!!!!!! 」




身体中に衝撃が。

「 何なんだ、この楽しさは!! 」

っていう衝撃。

大げさでなく、
このひと蹴りで人生が変わったのです。
サッカー、サッカー、サッカーに。
( 途中ファミコンに移り
     サッカーやってませんでしたが・・・ )


それから30年ちょっと。
相も変わらずにボールを蹴ってるわけですが、
いまだに初めて知ることがあるんです。


先週参加させてもらった、
愉快な仲間たちとのフットサル。


この日は
身体とココロがなかなか一致していたので、
自分とボールの一致感もなかなかにありました。


そのなかで、めっちゃ嬉しいプレーがふたつ。


ひとつは、アシスト。
ゴール前で受けた縦パスをズラして
シュートと見せかけ、
オレの背後を走ってきた仲間に
ヒールキックでパス → ゴール


もうひとつは、ゴール。
後ろの選手がボールを持ったとき、
相手DFラインの裏に抜けたんです、
右斜め方向に。
そこに後方から浮き球のロングパスがきたのですが
それが走ってるタイミングと合っていたので、

「 GKが出てきてるのとか
     見えないけど打っちゃえー 」

と思い、ダイレクトでボレーシュート → ゴール


どっちも日常では味わえない快感に包まれて、
たまらなーい幸福感でいっぱいになれたのでした。



数日経って、
その時に撮ったフットサル映像が
YouTubeにアップされたので見返してみると
( 毎回撮って
     毎回アップしてくれているのです!)
ちょっとした疑問が湧き出してきました。




 「 この2つのプレーで感じた喜びって、

   それぞれ何か違う気がする・・・ 」




両方とも嬉しいことに間違いはないんだけども、
なんかその熱量みたいなものが違うというか。


で、そのことを、あれこれ考えていました。


アシストのプレーは、
自分が描いたイメージをピッタリとやれた、
イメージを完遂できた喜び。


「 思考 」がすごく喜んでいる気がしました。


かたやゴールの方は、
自分ではイメージできていないことを
身体が勝手にスムーズに反応して出来た、
イメージを越えられたことの喜び。


「 感覚 」がすごく喜んでいる気がしました。


そして前者は

「 それまでの自分を肯定できる喜び 」

で、

「 自分を満たせたことの喜び 」

後者は

「 これからの自分を肯定できる喜び 」

で、

「 自分を壊せたことの喜び 」

なのかなぁと。


前に mf のイベントで、
南米サッカーの柔らかなご意見番
 
“ ワタリタカシさん ” から、


「 向こうでは 
     “ ひとつのきっかけ ” で急激に成長して、
  スターダムに伸し上がっていく
     選手がいるんですよね 」


というお話を聴いて、
ああ、確かに日本ではなかなないよなと。


右肩上がりの
直線的なイメージではなくて、
なだらかーな上昇から
急激に上がっていく曲線的なイメージ。


で、思ったのは、
こういう選手たちの
“ ひとつのきっかけ ” って、
ボクが感じることのできた後者の喜び


「 感覚の喜び 」
「 これからの自分を肯定できる喜び 」
「 自分を壊せたことの喜び 」


を感じられる
ワンプレーだったりするんじゃないかなーと。


誰もがビックリするような、
スーパーゴールだったり、
ルーパスだったり、
ヘディングでの競り合いだったり、
ボール奪取だったり、
ドリブル突破だったり、
ビッグセーブだったり。


だとしたなら、
そういう喜びが生まれやすい環境があれば・・


そのヒントは、
愉快な仲間たちとの
フットサルにある気がしました。


おそろしくざっくり言うと、




 「 無我夢中になっちゃう空気感 」




振り返ってみると、
ブラジルやコスタリカ
プロの練習でも草サッカーでも、
そんな空気感に包まれているのが
当たり前でした。


でも残念ながらそれは、
日本ではなかなか感じることのできない空気感。


無我夢中だらけな環境さえあれば、
人は勝手に、自分でも気づかないうちに
どんどんと成長していくんだと思います。


サッカーだけじゃなくて、
日本中をそんな環境でいっぱいにしたいよなぁ。


 『 楽しんで学べる “ 教育 ” よりも、
   気がついたら学んでいるような 
           “ 娯楽 ” を与えたい。 』
          ウォルト・ディズニー


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こうして振り返ってみると、

小学3年生のときの衝撃から、

糸島合宿をブログに書いたことまで

ありとあらゆることがつながってきてるんだなぁ。

 

それって、めっちゃスゴイ。とんでもなくウレシイ。

 

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