真っ青な空のもと。
真っ青な空のもと。
先週末の土曜日は、
「 エリア伊都 」の小学3年生から中学2年生で
アビスパ福岡の試合観戦へ。
残念ながら引き分けに終わってしまい、
自動昇格でのJ1昇格を逃してしまいましたが、
( プレーオフを勝ち抜けば昇格 )
スタジアムにはかなりのお客さんが入っていて
熱量もあって、とにかくいい雰囲気でした。
試合の合間には、
コーチをしてる講倫館高校サッカー部の3年生や
「 福岡フットボール映画祭 」実行委員長の谷脇さん、
選手の特徴を捉えたサッカーイラストが大人気の
宮内大樹さんにも久しぶりにお会いできたり。
スタジアムで試合観戦をすると、
いろいろなことへのインスピレーションが湧いてきて
ワクワクしてきちゃうんですよねぇ。
日曜日の午前中は、
小学1年生から3年生までのミニ試合。
コートはフットサルコート、ボールは4号球。
まだまだやんちゃ気質な低学年軍団は
ゴールを奪うということへの素直な欲求でいっぱい。
この本能に思考のフタをすることなく、
この本能に沿ってどう技術や思考を磨いていくのか。
この前の
「 日本 vs ブラジル 」の前半20分くらいを観て
やっぱりそのことを思いました。
書き出すと止まらなくなってしまいそうなので、
このことについてはまたあらためて。
しかし、キックオフで相手チームの子が
ヒールキックで始めたのにはめっちゃグッときた―
そして午後は
同じフットサルコートでジュニアユースの練習。
この日は、東京からゲストが参戦。
指導者を始めとした
サッカー関係者に大人気のブログ
『 大人になってから学ぶサッカーの本質とは 』
の主宰イマイ君。
前日のお昼に糸島入り。
( しかも夜行バスで15時間かけて! )
この日は
練習見学に来てくれるということだったので
せっかくならということで
一緒にプレーしてもらうことに。
イマイ君、さすがでした。
中学生たちを刺激する
練習での技術や練習後の話しもそうでしたが、
何より彼の「 姿勢 」がとにかくサイコーで。
コートに着いて着替えた後、
こっちがまだみんなに紹介していないのに
イマイ君は中学生たちの中に入っていき
そこにいた数人に声をかけボール回しがスタート。
練習が始まってからも
自らどんどんとコミュニケーションをとっていて、
プレーでも想像したことを遠慮なく表現していて。
彼が見せてくれたその「 姿勢 」は、
中学生たちに一番感じてもらいたいものでした。
周りを過剰に気にすることで
自分を表現することを諦めてしまいがちなこの年代。
僕自身も中学生のとき
入学して数か月はそうなりかけていました。
周りに合わせて思ってもないことを言ったり、
こうしたいという想いがあるのに声にしなかったり。
でも数か月経つと、
その想いは自然と消えていました。
それは「 この人 」がいたから。
どんなときでも迷いなく
自分を思いっきり表現していた “ ブンジ ” の姿勢、
それに触れているうちにいつの間にか
自分を出すことを恐れなくなっていたのです。
もし言葉だけで
「 自分を表現しようぜ 」と言われてたとしても
きっと伝わらなかったと思うんです、
彼がそういう「 姿勢 」だったからこそ、
もっというと、そういう「 生き様 」だったからこそ、
身体も心もいつの間にか反応していたんだと思います。
だから今回、
イマイ君が中学生たちに見せてくれた生き様は
本当に本当に嬉しいものでした。
練習後にイマイ君に話しをしてもらったときの
みんなの真っ直ぐな眼差しと澄んだ目は美しかったー
真っ青な空のもと。
自分を表現すること、
そして、本能を解放していくこと。
『 勝ち負けで人生を決めるのはまちがっている。
人生は、他人を負かすなんて
ケチくさい卑小なものじゃない。
いちばん大切なのは、自分自身に打ち勝って、
自分の生きがいを貫くこと、
これがいちばん美しいことなんだよ 』
岡本太郎( 芸術家 )
パターソン。
先日、山のすぐ近くにある映画館に
“ ジム・ジャームッシュ ” 監督の新作
『 パターソン 』を観に行ってきました。
妻にキスをして始まる
バスの運転手 “ パターソン ” の一日。
思いついた詩を乗務前にノートに綴り、
帰宅して妻と夕食をとっては愛犬と夜の散歩へ。
馴染みのバーに立ち寄り1杯だけ飲み、
妻の隣で眠りにつくという変わらない日々。
日常の美しさがたくさん散りばめられた、
とてもとても温かで素敵な映画でした。
ジム・ジャームッシュ、やっぱり最高です。
映画のテイストは全然違いますが
観終わった後の気持ちは
『 人生フルーツ 』のときと似てました。
「 人生を楽しむことって
まず何よりも
日常を丁寧に生きることなんだ 」
独身のときの日常なんかは
目の前の瞬間を味わうことがほとんどない
本当にヒドイものでしたが、
結婚してから、あと、糸島に移住してからは、
少しずつ丁寧に過ごせるようになってきました。
起きたらカーテンを開けて庭を観察したり、
豆を挽いてからコーヒーを淹れたり、
天気のいい日は太陽の光を全身で感じたり。
たった数分のことだけど、
そんな時間を過ごすことで心は喜んで、
そんな自分でサッカーのコーチをしたら
子どもたちも喜んでることが多い気がします。
「 パターソン 」もう一回観たいなぁ。
『 どんな日でも、陽は昇り、陽は沈む、
毎日が新しい1日 』
映画「 パターソン 」より
子どもの世界。
「 おしごと博覧会 」のワークショップと
子どもたちとの幸せサッカーが終わった後、
打ち上げBBQまで時間があったので、
会場すぐ外の砂浜でボー――っとした時間を。
そう、朝は雨が降っていたのに、
気づけば、すっかりいい天気になっていました。
澄んだ空気と、柔らかな陽射し、
そして、いつもよりも力強い波の音。
そんな風景の中で、
イベントに参加していた子どもたちが
思い思いに遊んでいました。
取っ組み合いをしたり、
みんなでリレーをしたり、
拾ってきた木でチャンバラをしたり。
大人の目を気にすることなく、無我夢中に。
そこにはちゃんと「 子どもの世界 」がありました。
取っ組み合いでやられたのが悔しくて
周りにバレないように涙を流してる男の子。
リレーがいい勝負になるように
走るスピードを調節していたお姉ちゃん。
おむつをつけた子とのチャンバラで、
役者のように派手に切られるお兄ちゃん。
みんなそれぞれに何かしらの想いをもって
その「 子どもの世界 」を生きていました。
きっと子どもたちはそういう中で
自然といろいろなことを学んでいってるんですよね。
その世界を見守れる大人になりたいなぁ。
まんまるな夕陽が、静かに静かに落ちていきました。
『 大人の1年間にあたる子どもの5分間がある 』
宮崎駿( 映画監督 )
おしごと博覧会。
僕が大好きな作家のひとり、
ブラジル人作家の
“ パウロ・コエーリョ ” が
子どもについてこんな言葉を。
「 子どもは常に三つのことを
大人に教えることができます。
理由なしに幸せでいること、
何かでいつも忙しいこと、
自分の望むものを全力で要求する
方法を知っていること、の三つです 」
それを深く深く実感できた一日でした。
子どもをもつ3人のお母さんが企画したイベント
糸島の二丈深江で開催された『 おしごと博覧会 』。
様々な職種の大人の話しやワークショップから
「 はたらく 」ということに触れてみようという趣旨で
僕はその講師のひとりとして参加させてもらいました。
海沿いにある「 深江観光ホテル 」の
芝生広場が会場だったのですが、
台風の影響による大雨で残念ながら室内での開催に。
ただ、ここがまた良かったー!!
ホテルの敷地内にある海の家で、
オーシャンビューの解放感いっぱいな空間でした。
10時から16時まで様々なワークショップが行われ、
お昼時には「 劇団AFRICA 」によるライブも。
子どもたちも参加していて、
みんなが自由を感じられる本当に素敵なライブ、
ちょっと泣きそうになっちゃいました。
前日から降り続いていた雨が開催直前に見事にやみ、
しかも芝生広場の一角はまさかの乾いた状態で
芝生も綺麗でボールを蹴るにはうってつけの場所、
僕のワークショップはそこでやることにしました。
が、
なんか引っかかるものがあって、
周辺の場所を歩きながらずっと考えていました。
そして場所を変更、
すぐ隣にあった松林でやることに決めました。
地面は平らに整ってないうえに
足首は軽く埋まるくらいの草が生えていたり、
枯葉や折れた枝などがあちこちに落ちていていたり、
という、整っていないことが満載な場所。
まずは、
松の木と木のあいだをゴールに見立ててシュートを。
決まったら次は、あいだの狭い松の木を選んだり、
角度的にちょっと難しい場所や
折れた枝がいい感じに邪魔をする場所を
スタートポジションにしたり。
( 枝を退かすことはもちろんNG )
その後は、2チームに分かれ、
ゴールとなる松の木をそれぞれに選んでもらい試合を。
子どもvs僕になった回では
僕が目指すゴールを彼らに決めてもらったのですが、
一本の松の木の4メートル上くらいで
Y字に分かれてるあいだをゴールに指定・・・
吹っかけられたケンカは買わないとということで
本気に本気を出して決めてやりましたがっ(笑)
でも子どもたちって、やっぱスゴイですよね、
どうやったら上手くいくか自分で考えますからね。
落ちてる枝に当たらないような
浮いたボールの蹴り方を自然に想像したり、
相手が勢いよくボールを取りに来たら
松の木をあいだに挟んで相手の動きを止めたり。
綺麗に整った芝生じゃなくて、
中南米ストリート的な松林を選んで本当によかったー
僕が今回、
元サッカー選手、現サッカーコーチの講師として
このイベントで伝えられたらなと思ったことは、
「 無我夢中に楽しめることが何より最強!! 」
ということで、それを言葉でなく、
「 姿勢 」で伝えられたらなということでした。
選手としては実際にそうプレーすることで、
コーチとしてはそういう空気感が生まれるような
子どもたちへのアプローチをすることで。
それが「 種 」となって
みんなの身体や心に残っていってくれて
で、たとえサッカーじゃなくても
「 大好きでたまらないもの 」を見つけたときに
躊躇うことなく無我夢中になっていってくれたら
そんなウレシイことはないなぁと。
( それがサッカーだったら泣いちゃうけど )
大好きでたまらないものとの出逢いって
本当に「 奇跡 」だと思うから。
夕方になり
全3回のワークショップが終わると
参加してくれた子どもたちから
「 ねー、またサッカーやろーよー 」
というお誘いが。
体調不良もあり
すでにヘロヘロだったけど、
これは当然やるしかないっしょと
みんなでまたボールを蹴り始めました。
するとそれを周りで見ていた
ワークショップには参加してなかった子たちが
「 ボクもやりたーい、いーれーてー 」
と次々に加わってきて、気づけばえらい人数に。
とんでもなく幸せな風景だったなぁ・・・
しかも終わると、
サッカーをほとんどやったことのなかったという
内気な男の子が近づいてきて、小さな声で、
「 サッカー楽しかったぁ・・・ 」
おじさんを泣かせるんじゃないーーーーー
この「 おしごと博覧会 」、
子どもたちのそのままの笑顔がいっぱいの
本当に素敵なイベントでした。
糸島がさらにさらに好きになっちゃいました。
主催メンバーの方々、
お誘いどうもどうもありがとうございました!
笑うことから始めようー
『 ひとつだけ忘れないでほしい。
あなた方はみんな、
自分で思っているよりも、
ずっとすばらしいということを 』
パウロ・コエーリョ( 作家 )
同じ食卓。
同じ食卓を囲むということ。
それって幸せのひとつの形だなぁと。
家族との
日々の食卓はもちろんですが、
仲のいい友だち家族みんなとの
外国で知り合った人の家での食事会、
親戚が集まってのお正月の集まり。
そこで生まれる
ふわっとした空気感が僕は大好きです。
フードディレクターの
“ 野村友里さん ” が監督を務めた
『 eatrip イートリップ 』
のラストで出演者みんなが集まって
楽しそうに食事をしてるシーンとかサイコー。
1週間ほど前、
糸島にある古民家ゲストハウス
『 いとより 』の主人 “ ナルミさん ” から
「 東京から移住検討してるご夫婦が
いとよりに宿泊されていて、
明日の夜シェアご飯会をやるんですけど、
もしお暇でしたら来られませんか? 」
とのお誘いいただき、喜び勇んで参加。
ナルミさんが糸島食材を調達してくれていて、
それをみんなで調理( 男子は主に配膳係 )
この日のメインはもつ鍋だったのですが、
それだけでなく、こーんなにも豪華な食事に!!
しかもこれ、ひとりたったの700円ですよ・・・
おーまいがーです、ほんとに。
この日は、移住検討のご夫婦をはじめ、
僕らと同じ時期に北海道から移住してきたご夫婦、
14年前に移住してきて落語会を主宰してる方、
大人気ブログ「 愛しの糸島ライフ 」を運営してる方、
とオモシロイ人たちが集まり、
とんでもなく日本酒が進む素敵な宵となりました。
糸島がさらに好きになっちゃったなー
東京からのご夫婦、移住してきてくれたら嬉しいなー
同じ食卓を囲んで、同じものを食べる。
そこで生まれるふわっとした空気感は、
「 安心感 」に近いものかもしれないです。
そう、安心感をいっぱい集めると
「 優しさ 」「 信頼 」「 冒険心 」
なんかが当たったりするんですよね。
同じ食卓を囲もうー
『 止めることのできない時間は
惜しむためだけでなく、美しい瞬間を
次々に手に入れるために流れていく 』
よしもとばなな( 作家 )
ご報告。
フェイスブックやインスタグラムでは
すでに報告させてもらっていたのですが、
この度、糸島のクラブチーム
「 エリア伊都 」のジュニアユース監督に
就任することとなりました。
昨年10月の
「 Futbol&Cafe mf 」のクローズから
昨年末2か月間の中南米ジャーニー、
今年3月のまさかの展開からの糸島移住、
そして、今回のジュニアユース監督就任。
1年の間にこれだけのことがあって、
しかもとんでもなく嬉しく展開していって、
ただただ関わってくれた全ての人に感謝です。
自分がこうなっていきたいってイメージして
切り開いていった道ではまったくないですからね。
周辺の人たちが生み出してくれた
小さな「 流れ 」に乗っていってみたら
辿り着いた先がここだったっていうだけで。
みなさん、本当にグラシアスです!!
これから本格的に関わっていく
「 中学生年代 」というカテゴリーは
身体的にも精神的にも大きく変化のある
とてもとても重要な時期だと思っています。
ここでどれだけ、
中学生たちの心に火を灯すことができるのか。
僕が42歳になった今も
フットボールに関わり続けていられるのは、
間違いなく中学生時代の恩師のおかげで、
そのときに灯してもらった火がなかったらきっと
今とはまったく違う人生を歩んでいたと思います。
“ ブンジ ” と呼ばれていた、今は亡き恩師。
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2005年の秋、
大好きな雑誌『 Coyote 』の
” 沢木耕太郎 ” 特集を読んだ。
そのなかに、
こんな言葉が書かれていた。
『 教師というのは、
学問上の何かを教えることも
重要だけれど、結局のところ、
若い人たちに情熱を伝えることが
いちばん大切なこと 』
俺は真っ先に
” あの人 ” のことを思い出した。
そして納得のもと、
その言葉をノートに書き写した。
初めての“あの人”の授業。
大柄というかちょっと太った“あの人”は、
何かへの自信からきてるんであろう
大きな張りのある声で自己紹介を始めた。
「これから君たちに
社会を教えていく
“ 吉田文治 ” と言います。
学生の時の友達からは
名前の読み方を変えて “ ブンジ ” って
あだ名で呼ばれてました。」
中学1年生だった俺は、
堅苦しそうなその本名よりも、
“ ブンジ ” って軽さのほうが気に入った。
年齢はまだ30歳あたり。
先生らしくない雰囲気にも興味を引かれた。
“ ブンジ ” は意外にも、
サッカー部の顧問だった。
あの体型からは想像できなかったが
よくよく話を聞いてみると自分では
本格的にはやってなかったとのこと。
一抹の不安を覚えた。
サッカー部の練習は、
練習というかシゴキだった。
ボールを使わず延々と走らされたり、
至近距離から思いっきり蹴られたボールを
クリアしなきゃいけなかったり。
そして、
笑顔を見せたり、手を抜いた瞬間、
とんでくるヘビー級のビンタ。
俺はキャプテンに指名され、
よくみんなを代表してビンタされたり、
キックされたり、バケツの水を浴びせられた。
まったくもって反抗の許されない世界。
だからうちらは決して
“ ブンジ先生 ” なんて呼べない。
有無を言わせず“吉田先生”だった。
一度うちの実家に
双子の弟“ルイ”あてに“吉田先生”から
電話がかかってきたことがある。
その電話に出たのは当時1年生で
やはりサッカー部だった三男の “ ソウ ” 。
“ ソウ ” は受話器を押さえることなくこう言った。
「 ルイー、ブンジから電話 」
電話に出た “ ルイ ” 。
“ 吉田先生 ” にこう言われた。
「 おい、ソウに代われ 」
受話器を受け取った
“ ソウ ” と “ 吉田先生 ” のやり取り。
「 おい、今ブンジって言ったろ。
言い直せ 」
「 ルイー、吉田先生から電話 」
そんな“ブンジ”が
最も影響を受けたものはやっぱり、
「 スクールウォーズ 」だったそうだ。
こんな辛くて理不尽な世界なのに、
どういうわけか辞めたいとは
ただの一度たりとも思わなかった。
それは残念ながら、
サッカーが好きだからという
綺麗な理由ではなかった気がする。
「 何か 」に引っ張られてただけな気がする。
でも中学生の時は、
その「 何か 」がわからなかった。
2007年6月5日の火曜日、
“ ブンジ ” が、ガンで亡くなってしまった。
俺は、ダメな教え子だった。
理不尽だった練習方法を否定して、
そうならないようにそうならないように、
ここまで指導者になってきた。
ある種の反面教師にしていた。
今の江戸川区の中学校の
サッカー部の練習を手伝ってくれ、
と言われていたのに数回しかいかなかった。
うちらの中学校サッカー部OBの
集まりを企画してくれと言われてたのに、
ついに一度も実現させなかった。
本当に、ダメな教え子だった。
でも “ ブンジ ” は俺に、
コスタリカ行きの話を嬉しそうに聞いてくれ、
Jリーグのコーチに無理矢理合わせてくれ、
その上、初めての講演会のチャンスまでくれた。
感謝の言葉しかない。
中学校の時、
「 情熱 」で引っ張ってくれて、
本当にありがとうございました。
俺が今の場所にいるのは
間違いなくそのおかげだから。
亡くなる2年ほど前、
あなたはこう話していましたね。
「 俺は学校のシステムに
馴染めない子こそ、
どうにかしたいんだ 」
そんな「 人への情熱 」を持った、
葬儀に2000人以上も来てしまう、
あなたみたいな人間に
俺もいつかなりたいです。
出逢ってくれたことに感謝。
また会いましょうね。
『 教師というのは、
学問上の何かを教えることも
重要だけれど、結局のところ、
若い人たちに情熱を伝えることが
いちばん大切なこと 』
作家・沢木耕太郎
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“ ブンジ ” からもらった「 情熱 」を
「 僕なりのやり方 」で子どもたちに伝えていくこと。
新たな冒険の始まりです。
『 平凡な教師は言って聞かせる。
よい教師は説明をする。
優秀な教師はやってみせる。
しかし最高の教師は
子どもの心に火をつける 』
ウィリアム・ウォード( 教育者 )
当たり前から特別へ。
台風接近中だった週末、
日曜日は暴風警報発令のため
残念ながら中止となってしまいましたが
土曜日は予定通りに活動ができました。
僕が担当したのは、
午前中に小学1年生の練習試合と
同じ会場で3・4 年生ごちゃまぜの紅白戦、
そして午後はジュニアユースの練習。
いやぁ、やっぱり、面白かったなー。
じつはこの2週間前から体調を崩し、
10日間くらいは発熱、胃痛、腹痛が重なり、
食事もスープぐらいしかとれずで外出もできず。
なので、久しぶりのグラウンドだったのです。
「 県立講倫館高校 」の選手権に行ったとき、
ケガで春からずっとチーム練習に入れてなかった
ある3年生がメンバー入りを果たしていて
ウォーミングアップにも加わっていました。
で、その合間に、こんな話をしてくれました。
「 ほんとーに幸せですよ。
メンバーに入れたこともですけど、
でも何より、またこうして
ボールを蹴られるようになったことが。
ケガをする前には感じたことなかったなぁ。
それに気づけただけでも
ケガをした意味があったのかなと思います。
サッカーって最高に楽しいですよね 」
イタリア・セリエAでいいスタートを切った
好調「 ラツィオ 」を引っ張る
イタリア代表FW “ インモービレ ” が
「 問題から何か
正しいレッスンをくみ取ることができれば、
困難は人を強くする 」
と言っていましたが、その高校生はまさに。
僕がグラウンドに行けなかった期間なんて
彼と比べたら全然たいしたことはないし、
精神的な負担なんか1億分の1くらいですが、
でもやっぱり同じような想いは感じました。
自分のなかで「 特別 」だったものが
いつからか「 当たり前 」になっていって、
何かのやむを得ない事情からそれがまた
「 特別 」なものだと感じられるようになる。
久しぶりに飲むことのできた
小学生の試合や紅白戦、
ジュニアユースの練習に行って
あらためて感じたことがあるのですが、
それについて書かれた記事を
外出できなかった期間に見つけたのでご紹介を。
特殊な環境下に身を置く日本の子供たちには
特に必要じゃないかなぁと思っています。
よかったら、読んでみてくださいね。
「 特殊な早期教育がなくても
子どもたちがすくすく育つように、
特殊な食事を工夫しなくても
楽しい食事であれば
子どもたちはすくすく育ちます。
子どもたちに与えられた “ 育つ力 ” です。
その原動力が自己肯定感です 」
「 遅かれ早かれ必要なときに、
出来ることはできるようになるんです。
逆に言うと、出来ないこと、嫌いなことは
できなくて良い、自信を失わなくて良い。
だからこそ、親としては子どもの
“ 出来ること ” “ 得意なこと ” を
探してあげることが大切です。
それが勉強なのか、
スポーツなのか、芸術なのか、
それともまったく
別のことなのかはわかりませんが、
絶対に何かあります。お友だちのことなのに、
涙を流して一緒に悲しんだり
喜んだりすることができる小学生がいます。
それは素晴らしい才能なのです 」
「 子どものうちに
成功体験を積んだ人間は強いですよ。
“ 自分大好き ” は
子どもたちにとって大きな力です 」
自分自身を「 当たり前 」にしないことって
すごく大事なのかもしれないですねー。