まさかの展開。
福岡県の糸島に移住することにしました!
明日3/17に引っ越し、
3/20から糸島での生活がスタートします。
向こうでは、高校のサッカー部のコーチを
やらせてもらうことになっています。
現地に住む地元の人たちとのご縁からなのですが、
ほんとビックリな展開!
ありがたいとしか言いようがないです…
あとはダブルワーク的に他の仕事もやっていこうと。
今の時点では農業に関わっていけたらなとは考えています。
糸島に移住することは最初から考えていたわけではないので、
うちら夫婦にとってもまさかの展開でした。
ただ、すごくすごく自然にこの選択に流れ着いたなぁ、
という実感はあって。
振り返ってみると、
この数か月のいろんな出逢いから
インスピレーションを受けていたようです。
昨年末の
15年ほど前にコスタリカでプレーしていたチームのコーチ
“ マウリ ” の家を拠点にさせてもらい旅をしていました。
そこからコスタリカの様々な場所や
キューバに行っては、また彼の家に戻って。
なので、旅なんですが、生活している感じもあったのです。
で、日々接する
マウリの「 在り方 」が本当によかったんですよねぇ。
力が入っていなくて、とにかく自然体で。
「 仕事をしている 」と「 生活をしている 」が
分けられてる感じがしなかったのです。
( マウリの仕事は、大学の体育の先生 )
感じたのは、ただただ「 自分を生きている 」んだなぁと。
その中に仕事と生活がある。どちらも愉快に、丁寧に。
外出をすれば、知ってる人に会う度に、
子供のような笑顔で「 Pura Vida!」( 素晴らしい人生だよ!)
もちろん彼にも大きな悩みがあったりするのですが、
それも含めての「 自分を生きている 」という
「 在り方 」にはやっぱり心を打たれました。
コスタリカでは
面白い日本人の人たちにも会ってもらいました。
探検昆虫学者の “ 西田賢司さん ” と、
社会派の映画配給会社
「 ユナイテッド・ピープル 」社長の “ 関根健次さん ” 。
コスタリカに1年弱滞在したことのある
都立石神井高校の教え子 “ イケ ” が繋いでくれたご縁です。
西田さんはコスタリカに20年近く住む、
世界的にも有名な昆虫学者。
ここ数年住んでいる
モンテベルデという森にある施設でお話を聴かせてもらい、
実際に森の中のガイドもしてもらいました。
悔しいことに最初はまったくもって昆虫を見つけられず。
西田さんが居場所を教えてくれ、その昆虫の特徴も教えてくれ。
その度にワクワクしていってる自分がいて、
気づけば最後には自分自身の感度センサーが高まっていって、
ちょっとだけ見つけられるようにもなっていました。
すっごく嬉しかったんですよねー。
西田さんのこのコトバは強く心に残りました。
「 いろいろな生き物がいるっていうのは、
それだけで環境として素晴らしいんです。豊かなんです。
人間ばかりがいて他の生き物を目にすることができない環境は、
本当はすごく不自然なことなんですけどねぇ 」
西田さんと別れた後は、
まだあまり開発されてない海沿いの小さな町へ。
スイス人女性が経営しているバンガローに宿泊したのですが、
周りには舗装されていない土の道や、
鬱蒼とした木々、綺麗な太平洋の海が、
敷地内も自然が上手く生かされている素敵な宿でした。
この宿で迎える朝は、
他ではなかなか感じられない特別なものでして。
何時くらいだろう、6時前くらいかな。
宿の周辺にいるだろう何種類もの鳥や、サル類、犬などなど、
あらゆる生き物のすさまじい鳴き声で起こされるのです。
ほんとにとんでもない音量!
でも不思議と嫌な感じはしませんでした。
むしろすごく自然に感じられて。
西田さんのコトバを思い出しました。
きっといろいろな生き物を感じることで、
いろいろな繋がりを無意識に感じられていて、
それが自分を自然な状態にさせてくれるのかなと。
この宿では、
生き物とのいくつもの面白エピソードがあるのですが、
それはまたあらためて。
この海沿いの町に来た目的は、関根さんとお会いするため。
約束の日、
わざわざ宿まで車で迎えに来てくれ、
家に遊びに行かせてもらいました。
関根さんは1年ほど前に、
奥さん・お子さんふたりと一緒に家族4人で
マウリ、西田さん同様 「 自分を生きている 」人でした。
もっというと家族みんな、
そしてご飯を一緒に食べさせてもらった
もうひと組の家族みんながそうでした。
自分を生きて、自分たちを生きている人たち。
関根さんに唐突に質問されました。
「 アリサカさん、
帰国されたらどうするとかあるんですか? 」
「 いやー、まだ何も。ノープランですね 」
「 へー、そうなんですか。
じゃあ、福岡に住んだらいいんじゃないんですか?
僕らも糸島に住んでましたけど、
すごくいいところですよ 」
「 おっと、また福岡ってワード…
じつは何年か前から “ 福岡はほんといいですよ ” とか、
福岡に住み始めた友達とかも結構いて、
福岡ってワードがバンバン入ってきてて
ずっと気になってるんですよね 」
すると、うちの奥さん “ 光葉 ” が
「 あ、そういえば、
先月の私の誕生日のとき、
中学以来会ってない友達が
おめでとうメッセージをくれて。その中に
“ じつは福岡県の糸島っていうところに移住したんだけど、
すごくいい場所で光葉ちゃんにも合うと思うから
ぜひ遊びに来てね ” って 」
関根さんからの
「 おめでとうございます、決まりましたね(笑) 」
にはいやいやと否定はしましたが、
帰国したらとりあえず一度行ってみよう
ということは決まりました。
そして、12月末に帰国。
成田空港からの帰りのリムジンバスでは
久しぶりの日本に対しても
そんなに違和感はありませんでした。
吉祥寺でチャーシュー麺を食べて帰宅。
と、そこで初めての違和感が。
後から聞いたら光葉も同じことを感じていました。
「 東京に住むイメージが湧かない… 」
お正月は家族や親戚たちと過ごし、
しばらくの準備の後、
日本放浪クルマ旅へと出発しました。
目的地は、福岡県の糸島。
途中途中、全国各地の友人たちに
会いながらゆるりゆるりと。
( 詳しくは → 日本放浪クルマ旅 )
西日本を襲った大寒波の影響で
車での中国地方通過を諦め、
神戸からフェリーで福岡県に上陸。
そのまま糸島に向かい、5日間ほど過ごしました。
光葉の同級生 “ コシちゃん ” 、
そしてコスタリカからの一時帰国と
ドンピシャでタイミングが合った関根さん、
( 奇跡的なタイミング!)
それぞれから糸島案内をしてもらい、
いろいろな人にも会わせてもらい。
さらには、
宿泊したゲストハウス「 ことのは 」の
野北さん夫妻に声をかけてもらい、
糸島に住む愉快な人たちの飲み会( 40人!)にも
参加させてもらいました。
旅のラスト、
岐阜県からうちの実家のある神奈川県に向かう車内で、
これからについての話しになりました。
ふたりの意見は一致。
「 糸島に移住しよう 」
海も山もあるという自然の豊かさ、
野菜・お肉・魚・お酒・お塩・醤油など
あらゆるものが採れて作られる土地の魅力、
それらの影響はもちろんあるのですが、
うちらにとっての理由は他の部分も。
それは、人の面白さ。
たった数日で、
本当にたくさんの人に会わせてもらい、
その度に、ああ、面白いなぁと。
その面白さはやっぱり「 自分を生きている 」という部分。
その人自身を感じられる自然体な人たちが
とにかく多かったのです。
しかもそういう人たちは
自分にやれることを個人でやっている人が多く、
そういう部分にも惹かれました。
で、こういう人たちと話した後はいつも自分への問いが。
「 自分がここに住んだら何ができるんだろう 」
考える度、心がヒリヒリしていました。
サッカーのコーチをやりたい。
でもサッカーの繋がりは何もないし、かといって
Jリーグのコーチをやってた実績があるわけでもない、
そもそもコーチの現場から4年も離れてたわけだし。
自分のことを理解してくれてる人が多くいて、
すでに関係性のある東京であれば何とかなるかもしれない…
サッカー以外の仕事を考えても東京の方が何とかなるだろうし…
そんなことをずっと考えていました。
で、あるとき、ふと思ったんです。
「 あ、まだ何もしてないのに、
できないこと前提で考えてる… 」
それからあらためていろいろと考え直してみました。
自分の性格やこれまでのこと。
僕は10年以上テレビを置いていないのですが、
それは、家にあると見たくなくても見ちゃうから、
そして最終的に後悔してしまうから。
選んで見るということができない、
環境に流されてしまう弱さがあるんです。
でもこれ、よくよく考えてみると、
その裏もあるんだということに気づいて。
それは、ちょっと負荷のかかる環境や
まったく違う環境であっても
順応していきやすいということ。
思い返してみれば、テレビがない生活も、
ブラジルやコスタリカでの生活も
すぐに適応していけてました。
環境に適応していける強さ、
それは自分にもあるんだなぁと。
そういう見えない状況はワクワクもするし。
しかもこれ、話してみたら
光葉も同じようなことを感じていました。
だったら…ということで、
東京ではなく、糸島を選ぶことになりました。
この先どうなっていくのか本当にわからないです。
来年どころか、来月すら想像できない。
でもそれは自分たちが
自由に描ける「 余白 」なんだと思います。
親が授けてくれた自分ならではのもの、
それを目いっぱい生かしながら
自分にできることを
無我夢中に描いていきたいです。
「 自分を生きている 」
「 自分たちを生きている 」
日々そう実感していきたいです。
中南米ジャーニーに出る前
「 次の仕事を決めないで行こうよ 」
と光葉が言いました。
「 先のことが決まってたら
そのための旅になっちゃうから 」と。
真っ白なまま、
いろいろな人に出逢い、いろいろなことを感じ、
いろいろなことを考えてきました。
気づけば
「 糸島に移住 」というところに自然と流れ着きました。
「 みんなからもらった
インスピレーションって具材をグツグツ煮込んだら
“ 糸島に移住 ” っていう料理が
できあがりましたみたいな感じだね 」
ほんと光葉の言う通りだなぁと。
ありがとうございました、
ただただありがとうございました。
真っ白なまま旅に出て本当によかった。
どこにも辿り着かなかったらという不安はあったけど
とっても面白そうなところに流れ着きました。
そしてまた、真っ白なまま旅に出ます。
楽しみだー、笑顔でまた会いましょうねーーー
Pura Vida!
『 結果が、最初の思惑通りにならなくても、
そこで過ごした時間は確実に存在する。
そして最後に意味を持つのは、結果ではなく、
過ごしてしまった、かけがえのないその時間である 』
星野道夫( 写真家 )