幸せだと感じるモノ。
バックパックと普段使いのリュック、
今回の2ヶ月弱の旅の荷物は
それにすべて詰め込んでいきました。
最初は
ちょっと厳しいかなと思ったんです。
でもうちの奥さんがさらっと言った、
このひと言で迷いはなくなりました。
「 これに入るものしか
持っていかなければいいんじゃない?」
そして実際、その荷物だけで
充分に生きていくことはできました。
じゃあ、うちにある
それ以外の荷物は何なんだろうか?
大統領邸宅ではなく
郊外の農場に奥さんと暮らし、
収入の9割を寄付し、
資産は18万円相当の
1987年型フォルクスワーゲンのみという
「 世界で最も貧しい大統領 」と言われた、
現在は
「 南米諸国連合 」の大統領を務めている彼は
最近のインタビューで
こんなことを言っていました。
「 幸せだと感じるモノは、
私はすべて持っている。
これ以上のモノを持てば、
とても不幸になってしまうから
持っていないだけなんだよ。」
「 もし君がゲリラで、
山に潜んでいたとしよう。
山で快適に生きていくには
多くのモノが必要だが、
あまりに多くのモノを
リュックに詰め込んでいけば、
今度は歩くことができなくなる。
人生とは長いゲリラ戦と同じだ。
リュックは軽くしておかないと、
歩き続けることができないんだよ。」
コスタリカに1日いたら、
一度は必ず聞いたり、
目にしたりする言葉があります。
『 PuraVida!』
このブログのタイトルでも使っていますが、
現地では挨拶のときに頻繁に使われます。
「 素晴らしい人生だよ!」的な意味。
コスタリカに住んでいる人たちは
この言葉を毎日、しかも何度となく、
高らかに言っているのです。
コスタリカは中米という地域では
経済的に発展した国。
アメリカ資本がかなり入ってきているので、
ファーストフード店や
スニーカーを売るお店、
ショッピングモールなど数多くあります。
なので資本主義社会ならではの、
より多くのモノがほしい
という欲求はあると思います。
ただ反面
「 足るを知る 」的な部分もありまして。
多種多様な恵まれた自然、
温暖で過ごしやすい気候、
そして自分たちの国でまかなえる
美味しいコーヒーや
フルーツ(ほんと美味しい!!)。
そういう部分への誇りが
「 PuraVida!」という言葉にも
繋がってきてるんじゃないかなと思います。
今回旅に出てみて、
自分はまだまだ余計なモノを
持ちすぎているなと感じました。
それは形あるモノだけではなくて、
自分の心にある無形のモノも含めて。
ムヒカが言う
「 幸せだと感じるモノ 」が、
まだちゃんとわかってないからなんでしょうね。
だから
表面的な安心感や満足感を求めて、
より多くのモノを持ったり、
新しいモノを持ったり。
で、気づいたら、
リュックが重くなりすぎてて、
歩くことができなくなっている。
部屋を無償で提供してくれたり、
朝ごはんも用意してくれたり
とずっとお世話をしてくれた ” マウリ ” の
精神的にゆとりのある
シンプルな生活を見ていたら、
自然と自分のリュックの重さに
気づかされました。
じゃあ、リュックから何を出していくのか。
2017年にまずやることは
そこだなぁと思っています。
僕なりの、うちら夫婦なりの
「 PuraVida!」な人生を追い求めて。
みなさん、
今年も本当にお世話になりました。
来年もよろしくお願いします!
『 人生は一度きりで、
すぐに過ぎ去ってしまうんだよ。』