Football × Journey = Pura Vida!

Pura Vida!とは中米コスタリカの挨拶でよく使われる「素晴らしい人生だよ!」の意味。

自由になるために。

 

サッカー指導者としての僕は

エリア伊都 」の中学生チーム

ジュニアユースの監督という立場なのですが

平日はほぼ毎日、小学生の練習も担当しています。

プラス、幼稚園児たちの練習も週2回ほど。

 

今週の小学生練習は5・6年生の担当に。

その中で、ちょっと興味深い現象が起きました。

 

タッチ制限を加えたゲーム形式をしたとき

普段であれば自信をもって

決断しながらプレーのできる6年生の数人が

明らかに不安な表情を浮かべ

戸惑いながらプレーをしていたのです。

 

そして逆に

普段であればそういう選手たちの圧力に

消されてしまいがちな選手たちの方は

戸惑うことなくプレーができていて

ゲームでの選手同士の力関係が

見事に逆転していました。

 

 

「 いつプレーが始まっているのか 」

 

 

戸惑っていた選手たちは

走るスピードと接触の強さのフィジカル面と

キープ力と突破力に自信を持っているが故に

ボールを持ってからプレーが始まっていました。

 

戸惑わなかった選手たちは

そういった部分に自信を持ててないが故に

接触される前に味方を見つけることだったり

ダイレクトでパスをする習慣が身についていて

ボールに触る前からプレーが始まっていました。

 

なので、

このゲームで出た良いプレーのほとんどは

戸惑わなかった選手たちによるものでした。

 

ラスト2ゲームくらいになり

タッチ制限をなくしてフリーにすると

戸惑い6年生たちから一斉に

 

 「 おおお、やった~~~ 」

 

との歓声が。

 

たぶん束縛から解き放たれて

自由になれた感じだったんでしょうね。

 

その後はまたいつものように

ボールを持ってからのプレーになってしまい

でも、戸惑いがなくなった分

すべてのプレーに迫力が生まれたので

力関係は再度逆転

いつも通りとなってしまいました。

 

自由になるために。

 

でもそれは

タッチ制限がないからとか

練習試合だからとか、相手のレベル次第とか

そういう条件つきでの自由ではなくて

タッチ制限があってもなくても

どんなステージでの試合であっても

どんなレベルの相手であっても感じられる

そんな「 無条件での自由 」。

 

タッチ制限で戸惑ってしまった選手は

ボールを持つ前からプレーを始めることで

自分のフィジカルが通用しない相手にも

自由になれることが増えるだろうし

タッチ制限がなくて戸惑ってしまった選手は

ボールを持ってからのプレーを磨くことで

フィジカル的な圧力を感じてしまう相手にも

自由になれることが増えていく。

 

不安あるところに、自由へのきっかけあり。

 

イニエスタ ” のような自由人になりたいねー。

 

 

 『 人間は困難に直面するまで

   自分の持つ強さに気づかないものなんだ 』

          イニエスタヴィッセル神戸


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