ご報告。
フェイスブックやインスタグラムでは
すでに報告させてもらっていたのですが、
この度、糸島のクラブチーム
「 エリア伊都 」のジュニアユース監督に
就任することとなりました。
昨年10月の
「 Futbol&Cafe mf 」のクローズから
昨年末2か月間の中南米ジャーニー、
今年3月のまさかの展開からの糸島移住、
そして、今回のジュニアユース監督就任。
1年の間にこれだけのことがあって、
しかもとんでもなく嬉しく展開していって、
ただただ関わってくれた全ての人に感謝です。
自分がこうなっていきたいってイメージして
切り開いていった道ではまったくないですからね。
周辺の人たちが生み出してくれた
小さな「 流れ 」に乗っていってみたら
辿り着いた先がここだったっていうだけで。
みなさん、本当にグラシアスです!!
これから本格的に関わっていく
「 中学生年代 」というカテゴリーは
身体的にも精神的にも大きく変化のある
とてもとても重要な時期だと思っています。
ここでどれだけ、
中学生たちの心に火を灯すことができるのか。
僕が42歳になった今も
フットボールに関わり続けていられるのは、
間違いなく中学生時代の恩師のおかげで、
そのときに灯してもらった火がなかったらきっと
今とはまったく違う人生を歩んでいたと思います。
“ ブンジ ” と呼ばれていた、今は亡き恩師。
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2005年の秋、
大好きな雑誌『 Coyote 』の
” 沢木耕太郎 ” 特集を読んだ。
そのなかに、
こんな言葉が書かれていた。
『 教師というのは、
学問上の何かを教えることも
重要だけれど、結局のところ、
若い人たちに情熱を伝えることが
いちばん大切なこと 』
俺は真っ先に
” あの人 ” のことを思い出した。
そして納得のもと、
その言葉をノートに書き写した。
初めての“あの人”の授業。
大柄というかちょっと太った“あの人”は、
何かへの自信からきてるんであろう
大きな張りのある声で自己紹介を始めた。
「これから君たちに
社会を教えていく
“ 吉田文治 ” と言います。
学生の時の友達からは
名前の読み方を変えて “ ブンジ ” って
あだ名で呼ばれてました。」
中学1年生だった俺は、
堅苦しそうなその本名よりも、
“ ブンジ ” って軽さのほうが気に入った。
年齢はまだ30歳あたり。
先生らしくない雰囲気にも興味を引かれた。
“ ブンジ ” は意外にも、
サッカー部の顧問だった。
あの体型からは想像できなかったが
よくよく話を聞いてみると自分では
本格的にはやってなかったとのこと。
一抹の不安を覚えた。
サッカー部の練習は、
練習というかシゴキだった。
ボールを使わず延々と走らされたり、
至近距離から思いっきり蹴られたボールを
クリアしなきゃいけなかったり。
そして、
笑顔を見せたり、手を抜いた瞬間、
とんでくるヘビー級のビンタ。
俺はキャプテンに指名され、
よくみんなを代表してビンタされたり、
キックされたり、バケツの水を浴びせられた。
まったくもって反抗の許されない世界。
だからうちらは決して
“ ブンジ先生 ” なんて呼べない。
有無を言わせず“吉田先生”だった。
一度うちの実家に
双子の弟“ルイ”あてに“吉田先生”から
電話がかかってきたことがある。
その電話に出たのは当時1年生で
やはりサッカー部だった三男の “ ソウ ” 。
“ ソウ ” は受話器を押さえることなくこう言った。
「 ルイー、ブンジから電話 」
電話に出た “ ルイ ” 。
“ 吉田先生 ” にこう言われた。
「 おい、ソウに代われ 」
受話器を受け取った
“ ソウ ” と “ 吉田先生 ” のやり取り。
「 おい、今ブンジって言ったろ。
言い直せ 」
「 ルイー、吉田先生から電話 」
そんな“ブンジ”が
最も影響を受けたものはやっぱり、
「 スクールウォーズ 」だったそうだ。
こんな辛くて理不尽な世界なのに、
どういうわけか辞めたいとは
ただの一度たりとも思わなかった。
それは残念ながら、
サッカーが好きだからという
綺麗な理由ではなかった気がする。
「 何か 」に引っ張られてただけな気がする。
でも中学生の時は、
その「 何か 」がわからなかった。
2007年6月5日の火曜日、
“ ブンジ ” が、ガンで亡くなってしまった。
俺は、ダメな教え子だった。
理不尽だった練習方法を否定して、
そうならないようにそうならないように、
ここまで指導者になってきた。
ある種の反面教師にしていた。
今の江戸川区の中学校の
サッカー部の練習を手伝ってくれ、
と言われていたのに数回しかいかなかった。
うちらの中学校サッカー部OBの
集まりを企画してくれと言われてたのに、
ついに一度も実現させなかった。
本当に、ダメな教え子だった。
でも “ ブンジ ” は俺に、
コスタリカ行きの話を嬉しそうに聞いてくれ、
Jリーグのコーチに無理矢理合わせてくれ、
その上、初めての講演会のチャンスまでくれた。
感謝の言葉しかない。
中学校の時、
「 情熱 」で引っ張ってくれて、
本当にありがとうございました。
俺が今の場所にいるのは
間違いなくそのおかげだから。
亡くなる2年ほど前、
あなたはこう話していましたね。
「 俺は学校のシステムに
馴染めない子こそ、
どうにかしたいんだ 」
そんな「 人への情熱 」を持った、
葬儀に2000人以上も来てしまう、
あなたみたいな人間に
俺もいつかなりたいです。
出逢ってくれたことに感謝。
また会いましょうね。
『 教師というのは、
学問上の何かを教えることも
重要だけれど、結局のところ、
若い人たちに情熱を伝えることが
いちばん大切なこと 』
作家・沢木耕太郎
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“ ブンジ ” からもらった「 情熱 」を
「 僕なりのやり方 」で子どもたちに伝えていくこと。
新たな冒険の始まりです。
『 平凡な教師は言って聞かせる。
よい教師は説明をする。
優秀な教師はやってみせる。
しかし最高の教師は
子どもの心に火をつける 』
ウィリアム・ウォード( 教育者 )