Football × Journey = Pura Vida!

Pura Vida!とは中米コスタリカの挨拶でよく使われる「素晴らしい人生だよ!」の意味。

ボールの上に座る。

 

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ボールの上に座ることって、昔から好きなんです。

 

小学生のときなんかは特に、

サッカーが終わった後に

みんなでそれぞれのボールに座っては

さっきまでのサッカーのことや学校のことなんかを

ただただ笑いながら話していました。

 

あのときの解放感や、みんなとの連帯感、

もうたまらなく幸せな時間だったんですよね~

 

「 ボールの上に座る 」という非日常が

プレゼントしてくれた「 自由 」だったんだろうな

と今となっては思います。

 

なので僕自身は

ボールの空気が抜けてしまったり、

形が変形してしまう可能性があったとしても、

ボールの上に座ることは反対ではなく、むしろ大賛成です。

ボールに対しての愛情だって湧くだろうし。

 

で、指導者になってからは写真のように

子供たちの前でボールの上に座ることもあるのですが、

これはボールに助けてもらってる感じがありまして。

 

自分が何かを伝えないといけない状況で

その場所の空気感や子供たちの心を緩ませたいときに

ボールの上だからこその「 自由 」をお借りする。

 

このときは指導で関わる中学生たちとの

ファーストコンタクトな上に挨拶のみという

向こう的にちょっと構えてしまうような状況でした。

 

なので、少しでも緊張感を和らげて

フラットな関係になれたらより伝わるかなぁと、

ボールの上に座って話しをすることにしました。

 

終わってから帰ろうとすると

中学生たちがゾロゾロと話しに来てくれたので、

このときは少しはいい方向にいったのかなと思いますが、

伝えるって本当に本当に難しいアクションですよね・・・

 

こっちがいくら万人の心を震わすような

素晴らしい話をしたとしても

( まっっったくもって出来ませんが )

話しを聴く側が「 受信モード 」になってないと

相手の心には何ひとつ届くことはなく、

ほんとただの自己満足に終わってしまう。

 

で、そんな一方的な関係は、あまりにも切ない・・・

 

だからどうやって、

権力と強制力を発動させることなく、

相手の受信モードを自然にONにするのか。

 

指導者を15年以上やってきても日々試行錯誤で、

イメージ通りにいかないことの方が圧倒的に多いし、

一方的になってしまう可能性に対して怖さでいっぱいですが

( 自分の今の年齢や指導者という立場が余計に )

自問自答し続けてはやっていくのみかなと思います。

まぁ、そういうこと考えるのは好きでもあるんですがっ。

 

最後に、ボールの上に座るということについて、

うちの奥さん “ 光葉 ” がこんな詩を書いていたのでご紹介を。

 

このスケールの大きさ、ちょっと悔しいんですよね・・・

 

 

『 ボールに座りましょう 』

 

 自分とボールの
 一点を感じましょう

 

 ボールと地球の
 一点を感じましょう

 

 地球と自分の
 一点を感じましょう

 

 丸いという
 不安定な安定

 

 動くという
 不自由な自由

 

 一点という
 限られた無限の広がり

 

 自分と地球の
 バランスをとること

 

 軸をつくり
 軌道に乗って
 動き出すということ

 

 ボールに座って
 みんな
 地球のうえに
 乗っていることを
 思い出しましょう