いいとこ。
「 いやぁ、本当いいとこ住んでるよねー 」
糸島に移住して
もうすぐ2年が経ちますが
天気がいい日に光葉と車に乗っていると
未だに何回もこの言葉を口にしています。
春・夏・秋の糸島は
あちこちに花が咲いてたり紅葉だったりと
それはそれはたまらない景色なのですが
でも冬は冬で、海の透明感は最高だし
ブルーハーツのあの名曲のなかの
「 まぶしいほど 青い空の真下で 」
の歌詞のような澄んだ青空が広がる景色に
冒頭の言葉と共にため息が漏れてしまうのです。
糸島で生活をするようになってから
季節を意識することが圧倒的に増えました。
意識することが増えてるってことは
無意識はもっともっと感じ取ってるんだと思います。
住むところを都会から田舎の山の中に移した
ミュージシャンの高木正勝さんが
ご自身の著書『 こといづ 』(名エッセイ!)で
「 都会は
情報量が多いって言われるけれど
むしろ少ないと思うようになった。
物の数は多いけれど
情報の幅が狭いというか
限られた方向を向いたものしか
ないのだなと感じられる。
山だとちょっと歩いただけで
どどどどどっと
水平にも垂直にも命があふれていて
毎日が、二度と来ない一瞬一瞬が
もったいなくて忙しい 」
ということを書いていて
自分はまだ忙しいほどには感じられてないけれど
命があふれていることにはすごく実感があって。
うちの庭だけでも
5~6種類くらいの鳥がやってくるし
ネコだって吞気にやってくるし
カエルやバッタ、ダンゴムシ、ハチなんかも。
コスタリカでもそうだったんですが
命に囲まれてるって、とても心地いいんですよねぇ。
で、季節と命の連なりを実感するようになって
高木正勝さんのこの想いにも確かにそうだなぁと。
「 皆それぞれ
その人なりの時間の流れがあって
細やかなグラデーションで変化していってる。
どこかの地点がゴールであることなんてなく
いつも常に通過点でしかなく
気づきの連続でしかなく
その時の最上を目指して泣き笑っている。
そんな中で、一瞬でも
誰かと誰かが交わったなんて
もうそれだけで奇跡的で
それでいいやんと素直に思うようになった 」
春は必ずやってくるんだから
冬をもっと味わっていかないとなー
あ、カキ小屋行かなきゃ!( → こちら )
『 歳をとってよいことは
完成はないのだなと気づいたこと。
ゆえに失敗もないのだな。
だから、今日を奏でられたらそれでよい
それがよろしい 』
高木正勝(ミュージシャン)