バスの記憶。
1年ぶりくらいに高速バスを使って
光葉と共に天神へ。
2人でバスに乗っていると
「 中南米ジャーニー 」の記憶が蘇る、蘇る。
国内の移動は近くても遠くてもバスだったので。
で、ブラジルでもそうだったんですが
バスでの移動って時間もかかるし大変なんだけど
なんかやたらと印象的なことが起こるんです。
例えば
ブラジルの路線バスの運ちゃんが
スタイル抜群の美女をナンパしてたり。
例えば
バスの運ちゃんのテクニックで
殺気立った車内の雰囲気を一気に大喝采に代えたり。
例えば
キューバの長距離バスターミナルで
年配の日本人夫婦と出逢い
朝からビールを飲みまくったり。
なので中南米の旅の記憶には
やっぱりバスでのシーンが多く含まれていて
これって飛行機やタクシーじゃ
なかなかないことだと思うんですよね。
それをまた経験したいっていう欲求は
相変わらず中南米に旅をしたい
ひとつの理由になってることに最近気づきました。
でも、いい記憶だけじゃないんです。
選手としてのチャレンジで
コスタリカに行っていた2002~2004年には
こんな苦しかった記憶もあるんです。
前にSNSに書いたものを再掲載してみます。
コスタリカで
1部リーグのテスト生だった2ヶ月間
午前中練習に間に合うように朝早めのバスに乗り
窓の外の流れゆく景色を
ぼーっと眺めていたことを思い出しました
ものすごく心が折れそうな時期でした
所属できるチームがなく
自分でトレーニングをしたり
街の人と草サッカーをしていた6ヶ月間を経て
やっとのことでめぐってきたチャンス
最初の数回の練習では
手応えを感じられたものの
日に日にパフォーマンスは落ちていきました
紅白戦では自分だけ使われず
ひとりピッチの外を走っていたり
日本人は初めてで珍しいから
という理由だけで見せしめかのように
テレビのインタビューを受けたり
特に評価されることもなく
「 来週も来てくれ 」が続いたり
そんな日々のなかで
自分の心は外にばかり目が向くようになり
次第に練習に行くこと自体が嫌になっていきました
それでも行かないといけない
練習場に向かうバスのなか
窓の外の流れゆく景色をぼーっと眺めながら
必死に自分を奮い立たせていました
今日の自分は、昨日までとは違うんだ
そう言い聞かせて
必死にいいプレーを頭で思い描いていました
でも、結果はいつも一緒でした
そんな自分のことが
どんどん嫌になっていき終いには
グラウンドに向かうバスに
若いチームメイトが乗ってくると
気づかないフリをしている自分がいました
流れゆく景色をぼーっと眺めていました
しばらくすると体調を崩してしまい
練習にも参加できなくなり、家で療養することに
他のどの選手よりも
アピールしないといけない立場なのに…
布団のなかで過ごす
何もできない時間はただただ苦しい時間でした
1週間後に復帰して練習に行くと
チームの代表からクラブハウスに呼ばれひと言
「 明日からもう来なくていいから 」
めぐってきたチャンスは
こうして目の前からすっと消え
どうにもできない自分の心から逃げるように
日本への帰国を決めました
でも不思議と
ここからいろいろな人に
導かれていくように予期せぬ展開が始まり
最終的に2部リーグのチームとプロ契約できたのでした
バスに乗り
窓の外の流れゆく景色を
ぼーっと眺めていたあの時間
それはいま思い出しても
心がキリキリするような苦しい思い出ですが
そのときの自分にとっては
とんでもなく大事な時間だったんだと今は思います
なんかでもそういうことも含めて
様々な感情が自分のなかに巡っていたことは
いい記憶として残っていってるんだなぁ。
都市高速から見える海を
ボーっと眺めながらの約40分のバス旅でした。
『 人生って面白いぞ。
その瞬間まで何があるかわからない 』
映画「 世界最速のインディアン 」より