Football × Journey = Pura Vida!

Pura Vida!とは中米コスタリカの挨拶でよく使われる「素晴らしい人生だよ!」の意味。

ぼんやりとした世界で。

 

昔からよく、

「 テツさ、視力いいでしょ?6,0とかでしょ? 」

オスマン・サンコンさん的な扱いをされるのですが、

じつはこう見えてめっちゃ悪く、0.03 なのです。

 

ファミコンにハマりはじめた

小学校高学年から悪くなっていき、今はもう、

メガネ&コンタクトレンズなしでは生活できません。

 

先日久しぶりに、

2weekコンタクトの予備を買いに行きました。

 

手続きをしてすぐ、

様々な検査をするため併設された眼科へ。

 

コンタクトレンズを外して検査をしては、

待合室でしばらく待ち、そして、また別の検査。

 

しばらく待っている間は裸眼なので、

サンコンさんのように数キロ先にいる

動物を見つけられるどころか、

1メートル先の人の顔すらハッキリ見えません。

 

そこはすべてが、ぼんやりとした世界。

 

部屋には眼科スタッフ、患者さん、

合わせて15人くらいがいたのですが、

ぼんやりとしたシルエットでわかったのは、

そこにいる9割は女性だったということ。

 

最近初めて知ったこのことを実感。

 

 「 福岡県は男性より女性の数の方が多い 」

 

あと、

眼科スタッフの患者さんへかける声が

妙に気になってしまいました。

 

 「 はい、では次こちらです、

   椅子におかけになってくださいね 」

 

 「 左目を隠して右目からいきましょう。

   丸のどちらが空いていますか? 」

 

などの話す内容や

丁寧な言い回しをしてるところは同じなのですが、

伝わってくる感じが全然違うというか。

 

ちょっとイライラしてるんだろうなぁ

すごく穏やかで安心できるなぁ

ちょっと今は心ここにあらずっぽいなぁ

 

「 目 」が見えないからこそ

「 耳 」がいつも以上に敏感になっていて、

話している人の声に込められた「 音 」が

いつも以上に繊細に響いてきたのでした。

 

何かが制限されると、他の可能性が開いてくる。

 

サッカーでもそういうことあるなぁ。

 

ケガをしてしまい

利き足の利用が制限されると、

逆足を使える可能性が開いてくる。

 

年齢が増したことで

運動量が制限されると、

周りの人を生かす可能性が開いてくる。

 

相手の能力が高くて

スピードでの突破が制限されると、

相手と駆け引きする可能性が開いてくる。

 

制限は希望なのかもしれない。

 

そんなことを考えながら、

「 優しさに満ちた声のスタッフの人は、

     石田ゆり子みたいな顔をしてるのかなぁ 」

などと妄想しているのでありました。

 

 

 『 その一瞬を

   その一瞬のためだけに

   使えたらいいのにね

   とそんなことをおもう今日なのです

   人間だけが

   過去と未来を案じて今を失くす

   といつもおもいます 』

           石田ゆり子( 女優 )

 

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