ぜひ知ってほしい人。
2002年の日韓W杯が始まる前に
コスタリカに渡ったとき、
知り合いはひとりもいませんでした、
サッカーがやれる当てもありませんでした、
スペイン語も話せませんでした。
それでもお金をもらいながら
2部リーグのチームでプレーできたのは、
僕がスゴイからというわけでは当然なく、
周りの人たちが助けてくれたからでした。
これは謙遜でもなんでもなく、
素晴らしい人たちとの「 出逢い 」がなかったら
本当に実現しないことだったのです。
そんなたくさんの恩人の中に 、
コスタリカに10年以上住んでいた
” マサタさん ” という日本人の方が。
まだチームが決まらない時期に膝を痛めた僕は、
別の日本人の方に連れていってもらい、
マサタさんに膝を治療してもらったのです。
その治療もそうなのですが、
それ以外にも大きな感謝をしないと
いけないことがありました。
それは治療中にした何気ない話しから。
「 宿じゃなくて
アパートを借りれたらと
思っているんですよねぇ 」
するとマサタさんは笑顔で
「 おお、そうなのか。
よし、じゃあ探しに行こうー 」
治療が終わるとすぐ、
彼の大きなアメ車で街に繰り出したのでした。
そして「 部屋貸します 」の張り紙を
見つけるとその場で、書かれた番号に電話。
7〜8件くらい電話をしてくれた後、
希望の価格に合う物件にあたり、
一緒に見に行ってその場で仮予約。
数日後の正式契約にも立ち会ってくれ、
僕はマサタさんと同じ街に住むことになったのでした。
そしてこの街「 ベレン 」で、
とんでもない出逢いと遭遇したのでした。
http://tetsufootball.hatenadiary.jp/entry/2016/11/14/034014
そう、マサタさんがアパートを探しに行こう
と言い出してくれてなかったら、
その出逢いもなかったのです。
それからもマサタさんにはよくお世話になり、
チームとの契約後には彼とそのファミリーの家に
居候もさせてもらいました。
そんなマサタさんは残念ながら、2007年に他界。
昨日たまたま、
そのときに書いていたブログをあらためて読んだのです。
余命宣告をされてからの日々のこと。
波乱万丈の人生を楽しく優しく生きてきた
” マサタさん ” という
ひとりの男の生き様と言葉が綴られていて、
これは多くの人に知ってほしい!との衝動が。
ぜひぜひ読んでみてください!
自分が本当に大事にしたいことを
色鮮やかに思い出せるんじゃないかなと思います。
当時、勇気づけられたように、
昨日また奮い立ってしまいました。
マサタさん、元気にやってますか?
あなたがかけてくれた言葉のように
生きていきたいとあらためて思いました。
本当に本当にどうもありがとう。
「 定められた終わり。」
http://plaza.rakuten.co.jp/tetsupuravida/diary/200602210000/
「 あの日のまま。」
http://plaza.rakuten.co.jp/tetsupuravida/diary/200602280000/
「 かがやき。」
http://plaza.rakuten.co.jp/tetsupuravida/diary/200605070000/
「 あなたの病室。」
http://plaza.rakuten.co.jp/tetsupuravida/diary/200606140000/
「 田舎時間の幸せ。」
http://plaza.rakuten.co.jp/tetsupuravida/diary/200608060000/
「 幸せのカタチ。」
http://plaza.rakuten.co.jp/tetsupuravida/diary/200610220000/
「 素敵な奇跡を。」
http://plaza.rakuten.co.jp/tetsupuravida/diary/200611120000/
「 これからも。」
http://plaza.rakuten.co.jp/tetsupuravida/diary/200701030000/
「 生かされて。」
http://plaza.rakuten.co.jp/tetsupuravida/diary/200702180000/
「 春に向かって。」
http://plaza.rakuten.co.jp/tetsupuravida/diary/200703040000/
「 自分らしく。」
http://plaza.rakuten.co.jp/tetsupuravida/diary/200703280000/