トークイベント@糸島。
もうだいぶ経っちゃったなぁ・・・
1月23日に「 エリア伊都 」主催で
サッカーのトークイベントを開催しました。
糸島移住後、初めて企画したトークイベント。
ゲストは、中野吉之伴さん。
ドイツで10年以上、
育成年代のチームを指導をされていて
UEFA-Aレベルに当たる
ドイツサッカー連盟公認A級ライセンスも
取得されている方です。
トークの内容については、
「 福岡少年サッカー応援団 」の記者の方が
めっちゃ詳しくブログにまとめてくださったので
こちらをぜひぜひ読んでみてくださいー
個人的に印象に残ったのは、
打ち合せ時に中野さんが話していた
「 空気感 」について。
「 どんなに素晴らしいことを言ったとしても、
素晴らしい練習メニューをやったとしても、
選手たちが受け入れようとしない限り
それは決して届かないから
ムダになってしまいますよね 」
「 だからまずはやっぱり
受け入れよう、学ぼうと
選手に感じさせる空気感を
指導者が生み出していくことが
大事じゃないかと 」
「 今ブンデスリーガでブレイクしている
ナーゲルスマンやテデスコのような若手指導者は
最新のテクノロジーを駆使してることばかりが
クローズアップされていますけども、
それも選手たちとの信頼関係があってこそ。
空気感を生み出すことも含めた
彼らのコミュニケーション能力は
非常に長けていると思いますね 」
終わってからは、
糸島の指導者の人たちも交えて打ち上げに。
「 Futbol&Cafe mf 」でのトークイベント
『 Talking About Football 』でもそうでしたが
こうしてフットボールの輪が広がっていくことって
やっぱ嬉しいことなんですよねぇ。
その広がりから
今に繋がっていってることもいっぱいあるし、
でも一番嬉しいことは輪が広がれば広がるほど、
その人がもっているフットボールの世界と
自分の世界がかけ合わさればかけ合わさるほど
「 フットボールは自由なんだ 」
とそれまで以上に実感できていくということ。
知れば知るほど
知らないことが増えていくから、
どんどん面白くなっていくんですよねーーー
生きている間に、
どのくらいのフットボールの自由を
感じられるんだろうか、ただただ楽しみです。
中野さんの最新刊、ぜひ読んでみてください!
自由がいっぱいでワクワクしてきてしまうと思います。
中野さん、今度は一緒にボール蹴りましょ。
どうもありがとうございましたー!!
( 中野さんのホームページ → こちら )
『 僕がドイツサッカーの取り組みで
とくに共感しているのが、
さまざまな人がサッカーを通じて結び付き、
社会全体の中で子どもたちが成長していく環境を
つくり上げようとしているです。
それぞれが、それぞれの形で
サッカーと関わりながら、
それぞれの道を歩んでいる。だから僕も、
サッカー “ と ” 生きる道を探り続けています 』
中野吉之伴( ドイツサッカー指導者 )
末っ子の結婚式。
アリサカ3兄弟の権力者は
残念ながら長男のテツではなく、
双子の弟で次男のルイでもなく、
2歳下の三男坊ソウだったのです。
お兄ちゃんと呼んできたことは一度もないし、
オレとルイが四畳半での2人部屋にもかかわらず、
ソウはひとりで六畳の部屋を独占だし。
世の中の末っ子のイメージを全部まとめると
きっとソウになると思います。
そんな「 THE末っ子 」がついに結婚。
まぁ、結婚は1年ほど前にしていたのですが、
奥さん・カナちゃんの故郷の長野県にて
結婚式と披露宴が行われました。
笑顔いっぱいな素敵な会だったなぁ
なぜか双子エスコートさせられたり
カナちゃんのお母さんの伴奏で
向こうの親戚さんによる
長渕剛の「 乾杯 」熱唱からの乾杯があったり
母トシコ&ルイ嫁ユリちゃんによる
森山良子の「 家族写真 」熱唱があったり
光葉はこんな詩を朗読しました
『 夫婦 』
彼女は妻になりました
土にも
雨にも
風にも
太陽にもなりました
彼は夫になりました
土も
雨も
風も
太陽もありましたから
一本の木になりました
妻は
土のあたたかさで支え
雨のしとやかさにつつみ
風のさわやかさでほぐし
太陽のほがらかさで
毎日 木を照らしました
夫は
土に根を張り
雨を吸い上げ
風に種を送り
太陽と
毎日のあたらしい物語を分かち合いました
夫婦の言葉は
木陰をつくり
たくさんの生きものが あつまりました
引っ込み思案だったあの THE末っ子 が
カナちゃん家族の輪の中に自然にいて、
みんなの前で堂々と挨拶までしてる。
それぞれ親元を離れて
別々の生活をするようになって20年ちょっと、
あいつはあいつの人生を生きてきたんですよね。
当たり前なそのことを
ちょっと感慨深く思っちゃったんだよなぁ・・・
人ってやっぱ変わっていくんだ、
ゆっくり、ゆっくり、
気づかないくらい、ゆっくり。
家族って素晴らしい、
で、新しい家族が増えるって最高に嬉しい。
ソウ&カナちゃん、本当におめでとうー!
『 明日へ向かうほど
近くなる昨日がある
忘れないで
思い出はどこにもいかない
忘れないで
ぬくもりはどこにもいかない 』
森山良子「 家族写真 」より
SmallでBigなこと。
2018年最初のフットボールな週末でした。
土曜日はまず、
小学6年生+5年生2人チームによる公式戦。
初戦の勝利を見届け、車で移動して
午後は小学2年生の練習試合&3年生の紅白戦。
日曜日の午前中は、
フットサル場で小学1年生~3年生の練習。
午後は近くのグラウンドで中学生の練習試合。
地球のなかの、アジアのなかの
日本のなかの、九州のなかの
福岡県のなかの、糸島のなかの
普通の小学生や中学生によるフットボール。
ヤフーのトップニュースに上がるような
みんなが注目するBigなことは起きないですが、
そこに参加している子どもたちすべてに
Smallなことがたくさん起きているんですよね。
でもそれも、
彼ら、彼女らの目線から見たら決して
Smallなことではなく、Bigなことなんだろうなぁ。
その想像は忘れないようにしたいです。
中学生の試合が終わった後、
小学6年生の “ A君 ” と話しをしました。
彼は小学校を卒業した後に
「 エリア伊都 」ジュニアユースでやると
誰よりも早く決めていて、
こうして練習や試合に参加しています。
この日に参加した小学6年生はA君ひとり。
でも物怖じすることがなく、
上手くなりたいという気持ちも強い彼は
この日も中学生たちのなかにも自ら入っていって
明るくコミュニケーションをとっていました。
試合でも
球際の戦いで潰されることは多かったですが、
パスを受けるための誰よりも早い動きだしと
相手ゴール前での効果的なダイレクトパスで
フィジカル面で上回る相手との戦う術を自ら発見。
「 おお、やるねー 」と思っていたら、
ハーフタイムにベンチでいきなり号泣。
中学生たちが集まって
話しを聞いていたり励ましたりしていたので、
とりあえず僕から声をかけることはやめ、
しばらく様子を見ることにしました。
後半が始まって
試合中は必死に我慢しているのですが、
ベンチに戻って来ると、また号泣。
その後、交代してベンチにいる間も
ずっと涙を流していました。
試合がすべて終わり解散した後に
A君を呼んで話しを。
「 今日の試合どうだった? 」
そう聞く僕に顔を向けることなく、
彼は下を向いたまま、話し始めました。
「 あんなのサッカーじゃないですよ…
激しいのは全然いいと思うけど、
今日の相手はそれを超えて汚かったです…
すごい蹴られたし、文句も言われたし…
自分はサッカーをやりに来たのに… 」
投げやりにそう言い放つと、
A君から涙がこぼれました。
しばらくそのまま泣き続けた後、
顔を少しだけ上げ声を振り絞って、
「 でも、
そんな中で何もできなかった自分が
本当に本当に本当に悔しいんです… 」
新たなる成長物語の始まりです。
話しが終わると、
とんでもなく晴れやかな顔で
「 ありがとうございました!
さようなら! 」
そして車が止めてあるところに歩いていくと、
20メートルくらい離れたところからA君が
「 本当にありがとうございましたー!!!
さようならー!!! 」
自分を信じて、どんどん進んでいけーーー
『 もし君が何か夢を持っているのなら
その夢をとことん持ち続けるべきだ。
誰かが無理だと言ったとしても
決して諦めちゃいけない。
僕も新たなる夢を持ち続ける 』
ネイマール( ブラジル代表 )
まっさらに。
あけましておめでとうございます!
年末年始は1週間ほど東京で、
家族やら、親戚やら、友人やらと
楽しい時間を過ごしてきました。
会いたい人がたくさんいる場所
というのはやはりそれだけで特別だなぁ、
そんなことを今回の帰省では強く思い。
東京という場所自体に今は
強く惹かれることはないのですが、
そこに自分が大切だと
思っている人たちが生活している限り、
特別な場所であり続けるんだと思います。
でも糸島に帰るときには、
ワクワクしている自分もいたんですよね。
やっと、山に囲まれた風景のなかに身を置ける。
コスタリカでも
そういう風景のなかに住んでいたのですが、
自分の心があるべき場所に戻っていく感覚があって。
糸島が好きな理由のひとつです。
さぁ、2018年。
「 まっさらな目 」をもてるようになりたい!
なんかね、これは切に思うのです。
昔よりは
まっさら方面に近づいてるとは思うものの
そこに辿りつくまではまだまだまだまだまだまーだ。
なんらかの先入観をもって見ちゃうんですよね。
過去の印象で見てしまったり、
未来への期待で見てしまったり。
ネガティブに見てしまったり、
ポジティブに見てしまったり。
期待や可能性を抱くのはいいけど、
見るときにはあくまでそれを外して
そのときのそのままを、まっさらに。
「 いつも見るものを、初めて見るように 」
それが今いちばん欲しいものです。
ちなみに次に欲しいものは
「 BALMUDA 」のトースターですので
みなさん、そこんとこよろしくです。
今年もどうぞよろしくお願いしますー!
『 人生はドアのようなものだ。
もし “ 引く ” と書いてあったら、
押してはいけない 』
パウロ・コエーリョ( ブラジル人作家 )
2017という年。
ちょうど1年前の大晦日、
ウルグアイの元大統領 “ ムヒカ ” の言葉から
こんなブログ記事を書いていました。
自分のリュックの重さに気づくことができて、
そこから何を出していくのか、
そしてどの「 幸せだと感じるモノ 」を残すのか、
を考えることから始まったこの2017年は
福岡県の糸島に移住してサッカーの指導をしている、
とまったくイメージしてなかった展開になりました。
こんなに自分の内面を掘り下げた年なかったなー
糸島に実際に住み始めて
自分のなかの、うちら夫婦のなかの
「 幸せだと感じるモノ 」が
どんどんとクリアになっていってます。
何かを選ぶこと、何かを選ばないこと。
どちらにしても心をいっぱい込めること。
そして、もうひとつ、
これはごく最近思うようになってきたのは、
「 自分は何を残していけるんだろう 」ということ。
別に何かあったわけではないのですが
自然と自分の「 死 」を考えるようになったんです。
どこかのタイミングで終わりが来るんだよなーと。
そのとき周りの人たちや子供たちに
自分は何を残していけるんだろう、
そもそも何を残していきたいんだろう、
そんなことを考える機会が増えて、
これまで以上にリアルに考えるようになりました。
すごくすごくハッピーなことです。
ひとつずつやれることからやっていこう、2018。
みなさん、本当に本当にお世話になりました!
来年もどうぞよろしくお願いします。
Pura Vida!!
『 あなたが人生に
何かを期待するのではなく、
あなたが人生から
何を期待されているのか考えること 』
ヴィクトール・フランクル( 精神科医 )
考えることあれこれ。
「 福岡大学 」経済学の授業にまたもや。
1か月ほど前に
ゲスト講師に呼んでもらった流れから
今回はその同じ授業で
「 CSR 」( 企業の社会的責任 )
についてのグループワークの発表会があり、
その審査員のひとりとして参加させてもらいました。
各グループの発表を評価して、
すべて終わったら、みんなに総評を話すという役割。
僕以外の審査員のおふたりは、
経済の本も出版している大学教授の方と、
自身で事業を展開している経営者の方。
ずっと考えていました。
自分に何が話せるんだろ?
自分だからこそ話せることってなんだろ?
そんなことを掘り下げていった結果、
こんなことを話していました。
「 前の授業で話したように
自分はずっとサッカーに関わってきていて
正直これまでCSRについて考えたことなくて。
だからみんなの発表を聞いてなるほどね
なんて思ってたりしました 」
「 学部ごとのメンバーに分かれて
その学部の特色を取り入れた調査を
してるグループがあったけど、
それは独自性が出てて面白かったです 」
「 でもそれでもやっぱり、
話しが大きすぎてピンとこなかったんだ。
それはみんなの発表どうこうじゃなくて
自分は普段サッカーコーチをしてるなかで
一番小さな単位の個人についてを
いつもずっと考えてるからで 」
「 みんなが取り上げていた
大企業の不正問題なんかも
元を辿っていくと
個人が出発点になってるんだよね。
自分の場合はその個人という単位に
とにかく興味があるから
サッカー指導をしてるのかもしれないです 」
「 企業が社会に対して
どう貢献できるかっていうことも、
まず自分自身という個人が
授かった才能や抱いた好奇心で
どう社会に貢献していけるかを
今から考えていくことが、
いざ企業でCSRを考えるときの
ヒントにもなるのかなぁと思いました 」
授業が終わってから聞かせてくれた
大学教授の先生のこのお話は
「 まさに! 」で嬉しくなっちゃいました。
「 企業がある成功をおさめると
その経営者のやり方がクローズアップされて
みんなそれに習おうとしますが、
絶対に同じことはできないんですよね。
だって、それをやってる人自体が違うんだし、
対象となる相手だって何もかも違うんだから。
学問って “ 後づけ ” ですからね。
成功したらそれが形になるというか。
自分で考え抜いてやっていくしないですよね 」
育成のサッカー指導もほんと同じだー
その一瞬では成功している
チームや指導者が考えて実践してきた
練習方法やシステム、
選手やチームへのアプローチ。
考えることが
そんな「 形 」から始まっちゃいけない。
思考の出発点は、あくまで目の前の「 選手 」。
そこにいる選手をめっちゃ観察して
( でもとんでもなくさり気なーく )
その「 目に見える部分 」から
「 目に見えない部分 」を想像すること。
そこからやり方は生まれてくるんだと思います。
ま、それが難しいんですが・・・
でも、諦めることなくやっていきたいんすよねー。
いろいろなことを考えるきっかけをもらえた
福岡大学での授業となりました。
ありがとうございました!!
『 知ることは自由になること 』
ホセ・マルティ( キューバ革命家 )
自由な少年たち。
土曜日、日曜日と
両日ともに丸一日試合だったので
車で移動しただけの印象だけですが、
街のつくりや雰囲気に異国情緒が漂っていて
あらためてゆっくり来てみたい場所だなぁと。
サッカーを通して
初めての土地に行けるってほんと嬉しいことです。
あ、ちゃんぽん食べればよかった・・・
フェスティバルは
初日が1分け1敗、2日目が2勝、
最後の順位決定戦では延長戦の末に敗れ、
3位グループの準優勝という
なんともよくわからない結果に(笑)
個人個人としては、
2日間5試合のどの試合も
全員必ず半分は出るという条件でやるなか、
成長のきっかけと発見がたくさん見つけられた
有意義なフェスティバルとなりました。
強度をもったプレーだけでなく、
相手と相手の間で
フリーになれるポジションを探したり、
ボールをもったDFがプレスをかけられても慌てずに
狙われているすぐ近くのMFではなくて
もうひとつ奥でフリーになってる
FWにパスを入れたり、
ボールをもった相手に激しくアプローチしながらも
足を出して奪うタイミングを見極めていたりという
相手を見ながらの駆け引きが入ったプレーが
攻守ともにあらゆるポジションで見られ始めたことは
今の彼らにとって大きな成長の証でした。
24チームで行われた今回のフェスティバル、その中に
嬉しい気持ちにさせてくれるチームがありました。
副審をやっているときに
「 このチームの子供たち、なんか違うな・・・ 」
とふと思い、よくよく見ていたら、
子供たちが恐れることなく、怯えることなく、
本当に伸び伸びとプレーしていたのです。
で、なにが理由なのかなと思ってまた考えてると、
ベンチにいる指導者の人がすごく静かだったんです。
誰かがいいプレーをすると褒めるくらいで、
それ以外は静かに見守っている感じの人でした。
小さな失敗は当然見えているだろうし、
それに対して言いたくなる気持ちも
あるかもしれないけれども、あえて
「 言わない 」ということを「 選んでいる 」。
「 言う 」ことが
子供の成長にとってどれだけマイナスになるかが
きっと想像できているんじゃないかなと。
ハーフタイムでも子供たちは
こうした方がいいんじゃないかということを
安心しきった表情で監督とコーチに話していました。
ハーフタイムが終わり
選手がグランドに入ってきたとき、
そのチームのひとりの選手に
「 みんな楽しそうにサッカーやるね 」
と話してみると嬉しそうな顔をして
「 はい!楽しいですね! 」
こっちも嬉しくなっちゃって、
「 すごくいいねー。
自由にやらせてもらえてる感じなの? 」
今度はきょとんとした顔になり、
「 え、自由ってなんですか? 」
そこで時間がなくなってしまったので
「 後半も楽しんでね 」とだけ伝えてキックオフ。
あの彼はもちろん自由って言葉の意味を
単純に知らなかっただけだとは思いますが、
自由が当たり前すぎる環境だからこそ
その言葉が彼らには存在していなかったのかもな、
なんて妄想まで思わずしてしまいました。
で、じつは、
最後の順位決定戦での相手はそのチームでした。
雨がかなり降ってきてしまい、
グランドはぐちゃぐちゃ。
試合展開的にはほぼ互角に進み、
数少ない決定機も両GKのナイスセーブで決められず、
得点が入らないまま延長戦に突入。
延長戦でも同じような展開が続きましたが、
ラスト2分くらいで相手がゴールを奪い、
そのまま逃げ切られ 0対1 で終了しました。
やってて思ったのは
「 これは手強いな・・・ 」ということ。
「 強いな 」と感じさせるチームはありますが、
「 手強いな 」と感じさせるチームってほんと稀で。
一見こっちが全然やれてるように見えるけども、
大事なポイントはことごとく抑えられてる。
手強さの正体は「 対応力 」の高さでした。
うちが個人の力で局面を打開した後、
あらためてそこを突いて行こうとすると
ひと足先にいいポジションをとられてたり。
相手がパスで前進してくるなかで
いいインターセプトから
ボールを奪えてチャンスが作れた後、
あらためて相手のパスの分断を
意気揚々と狙ってると
ドリブルで突破されて前進されたり。
うちは前後半で
メンバーはほぼ入れ替わったのですが、
それに対してもすぐに対応してきました。
でもそれは指導者に
対応の仕方を教えてもらったわけでは当然なくて
試合をやっているなかで
彼ら自身が自然と導き出した対応なんですよね。
その対応力の高さは
決して生まれもった能力なんかではなくて、
「 言われたことをただやる 」という経験ではない
「 自分で感じて、発想して、行動して、考える 」
という経験を日々の練習や試合のなかで
積み重ねてきているからこそ育まれた力。
強制力のなかではなくて、
柔らかな空気感のなかだからこそ育まれた力。
ゆっくり、ゆっくりと、育まれた力。
指導者の人があえて
「 言わない 」ということを「 選んでいる 」
その大きな大きな成果なんだと思います。
ほんっとにいいものを見れたーーー
育成はそうでなくっちゃ。
『 コーチングとは
答えとなるある方向性を与えるのではなくて
自分で答えを導き出すための余裕を与えるとか
本人自身の切り替え力や目線を変えるための
仕掛けをつくってあげること 』