小学生合宿。
佐藤さんに声をかけてもらい、
小学4・5年生の合宿に
ゲストコーチとして参加させてもらいました。
僕の役割は
「 選手を観察してアドバイスすること 」
「 夜のミーティングで外国での体験談を伝えること 」
の2つ。
子供たちの前に身を置いて
コトバを発するということは、
やっぱり緊張感が走るもので。
でもそれは、
身体が固まるようなものではなく、
背筋が伸びるような凛とした緊張感。
試合のときに感じるものに
近いかもしれないなぁ。
初日より2日目の方が、
全体的に大胆で思い切ったプレーが多く見られて、
試合でもそれを発揮できていたので
ひとまずよかったー!!
もちろんそれで
身についたわけではないので、
実感できただろうちょっと新しい自分で
また夢中になって
ボールを蹴っていってくれたらなーと思います。
ビックリなこともありました。
夕食のバイキングで
料理を取っていると、
「 あ!テツさん!! 」
そこにいたのは
チームの合宿で滞在していた
昨シーズン「 SC相模原 」で
プレーしていた彼は休みの日に
「 mf 」によく遊びに来てくれていました。
久しぶりの再会!
ふと思いつき、
子供たちに少し話してもらえないかな
とお願いするとすぐに快諾してくれ、
学生時代の話しや
選手として大事にしてる想いなどの話しを。
子供たちからの質問攻撃にも
真摯に答えてくれていました。
このときに話してくれた
「 ペナルティエリア内での
キックフェイントからのシュート 」
は翌日に多くの子供たちがさっそく実践。
嬉しい嬉しい成果!
ぶっちー、ありがとうでした!!
それにしても
この年代の子供たちって
本当にかわいい~!!
合宿地に向かうバスの中で、
コーチが持ってきた
『 ペレ 』のDVDを観ていたのですが、
自分のせいで友達の子が死んでしまったと
ペレがお母さんに泣きついてるシーンのとき、
僕の後ろの席からちっちゃな声で
「 かわいそう・・・ 」
感情が高ぶりすぎて
思わずつぶやいちゃった
その言い方がマジでかわいすぎた・・・
あと行きのバスで
佐藤さんから渡されたまさかのプレゼント。
「 忘れないうちに渡しておくね。
これ、前に参加してくれた
指導者大会の後に
チームメイトの娘さんが
みんなに作ってくれたメダル。
絶対にアリサカコーチにも
渡してくださいね!って 」
わー、キッズよー、何なんだーーー、
そのかわいい優しさはーーー!!!
たった2日でしたが、
本当にたくさんの気づきがある
合宿となりました。
声をかけてくれた佐藤さん、
そして快く受け入れてくれた
良太コーチと子供たち、
どうもどうもありがとうでした!!
指導の現場には
「 楽しさ 」だけではなくて、
やっぱり「 喜び 」もありました。
『 私が何かをスキになるということは、
同時に何かが私を捕らえたということだ 』
後藤繁雄( クリエイティブディレクター )
旅するコトバ。
『 旅するコトバ 』というトークイベントを
主催していくことになりました。
誰に頼まれたわけではない、自分自身の企画。
そういうのあったらいいなぁと思いまして。
小さなお店などを営んでいる人たちに、
自らの空間の中で
そこでのストーリーなどを話してもらう、
僕が企画&運営&進行をする
持ち込みのイベントとなります。
会社の社長さんや有名なスポーツ選手、
芸能関係の人など著名な人たちのお話も、
もちろんオモシロイ!ほんとに!
でも小さな世界を築いている人たちの
コトバにもやっぱり触れたいんですよねー。
武勇伝やビックリエピソードのような
大きな話しはないかもしれない。
でも日常の角度を少し変えてくれるような
「 小さな話し 」があると思う。
その世界を彩るさりげない工夫、
お客さんとのちょっとしたやり取り、
仕事と生活とのバランスの取り方。
自分への問いから生まれた
「 その人ならでは 」の話しが聴きたいのです。
じんわーりとしたあたたかさが込められた。
3/5(日)に開催する第1回目は、
練馬区中村橋にあるカフェ『 fato. 』の相原夫妻。
時間と共に
身体の内側からポカポカしてくる
「 お風呂 」のようなイベントに
なったらいいなぁと思っています。
そしてこのイベントがライフワークに
なっていったらいいなぁとも思っています。
イベント開催に興味のある方、ぜひぜひ連絡くださいね。
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日本放浪クルマ旅。
あ、1か月以上ぶりの更新だ…。
それまで毎日のようにやっていたのに、
急にパタッとやらなくなるのは、
熱しやすく冷めやすい、
そして飽きっぽい、
そんな自分の性格そのものですね。
どんまい。
この間は、2週間ほどかけて、
奥さんと車の旅に出てたりもしました。
ずっと行ってみたかった
福岡県を目指しつつ、
途中途中いろいろな人に会いながら、
ゆるゆると。
これがほんっと素敵な旅に!
急な連絡にも関わらず、
みなさん時間を作ってくれて。
さらには、
泊まれる場所を提供してくれたり、
ご馳走してくれたり。
もうただただ感謝です、感謝の限りです。
どうもありがとうございましたー!!
お会いできた愉快な人たちの写真をドドンと。
ほとんどが
それまでに面識のある人たち、
でも会った場所の大半は僕が住んでる東京で。
今回はその逆、相手のホームで。
オモシロイことにやっぱ違うんですよねー。
なんだろ、より力が抜けているというか、自然体で。
それが心地よくて、さらに嬉しくなって。
場所に影響されない自分でいたいと思う反面、
場所の影響をちゃんと受けられる自分で
ありたいなぁとも思いました。
影響されないようにって
頑なになったら不自然になっちゃいますもんね。
うん、それは嫌だ。
中南米ジャーニーで
様々なことを感じたように、
この日本放浪クルマ旅でも、
人と会うたびに、場所を移るたびに、
気づいたら様々なことを感じていました。
で、それをもとに、
じんわりと考えさせられる。
日々、ココロの根っこの部分に触れられる
素敵な旅となりました。
それをどんな形にしていこうか。
そんなことを考え続けていたこの1か月。
そろそろ動き出しまーす。
『 あなたは風を変えることはできない。
しかし、目的地に着くために
帆を調節することはできる 』
パウロ・コエーリョ(小説家)
ぜひ知ってほしい人。
2002年の日韓W杯が始まる前に
コスタリカに渡ったとき、
知り合いはひとりもいませんでした、
サッカーがやれる当てもありませんでした、
スペイン語も話せませんでした。
それでもお金をもらいながら
2部リーグのチームでプレーできたのは、
僕がスゴイからというわけでは当然なく、
周りの人たちが助けてくれたからでした。
これは謙遜でもなんでもなく、
素晴らしい人たちとの「 出逢い 」がなかったら
本当に実現しないことだったのです。
そんなたくさんの恩人の中に 、
コスタリカに10年以上住んでいた
” マサタさん ” という日本人の方が。
まだチームが決まらない時期に膝を痛めた僕は、
別の日本人の方に連れていってもらい、
マサタさんに膝を治療してもらったのです。
その治療もそうなのですが、
それ以外にも大きな感謝をしないと
いけないことがありました。
それは治療中にした何気ない話しから。
「 宿じゃなくて
アパートを借りれたらと
思っているんですよねぇ 」
するとマサタさんは笑顔で
「 おお、そうなのか。
よし、じゃあ探しに行こうー 」
治療が終わるとすぐ、
彼の大きなアメ車で街に繰り出したのでした。
そして「 部屋貸します 」の張り紙を
見つけるとその場で、書かれた番号に電話。
7〜8件くらい電話をしてくれた後、
希望の価格に合う物件にあたり、
一緒に見に行ってその場で仮予約。
数日後の正式契約にも立ち会ってくれ、
僕はマサタさんと同じ街に住むことになったのでした。
そしてこの街「 ベレン 」で、
とんでもない出逢いと遭遇したのでした。
http://tetsufootball.hatenadiary.jp/entry/2016/11/14/034014
そう、マサタさんがアパートを探しに行こう
と言い出してくれてなかったら、
その出逢いもなかったのです。
それからもマサタさんにはよくお世話になり、
チームとの契約後には彼とそのファミリーの家に
居候もさせてもらいました。
そんなマサタさんは残念ながら、2007年に他界。
昨日たまたま、
そのときに書いていたブログをあらためて読んだのです。
余命宣告をされてからの日々のこと。
波乱万丈の人生を楽しく優しく生きてきた
” マサタさん ” という
ひとりの男の生き様と言葉が綴られていて、
これは多くの人に知ってほしい!との衝動が。
ぜひぜひ読んでみてください!
自分が本当に大事にしたいことを
色鮮やかに思い出せるんじゃないかなと思います。
当時、勇気づけられたように、
昨日また奮い立ってしまいました。
マサタさん、元気にやってますか?
あなたがかけてくれた言葉のように
生きていきたいとあらためて思いました。
本当に本当にどうもありがとう。
「 定められた終わり。」
http://plaza.rakuten.co.jp/tetsupuravida/diary/200602210000/
「 あの日のまま。」
http://plaza.rakuten.co.jp/tetsupuravida/diary/200602280000/
「 かがやき。」
http://plaza.rakuten.co.jp/tetsupuravida/diary/200605070000/
「 あなたの病室。」
http://plaza.rakuten.co.jp/tetsupuravida/diary/200606140000/
「 田舎時間の幸せ。」
http://plaza.rakuten.co.jp/tetsupuravida/diary/200608060000/
「 幸せのカタチ。」
http://plaza.rakuten.co.jp/tetsupuravida/diary/200610220000/
「 素敵な奇跡を。」
http://plaza.rakuten.co.jp/tetsupuravida/diary/200611120000/
「 これからも。」
http://plaza.rakuten.co.jp/tetsupuravida/diary/200701030000/
「 生かされて。」
http://plaza.rakuten.co.jp/tetsupuravida/diary/200702180000/
「 春に向かって。」
http://plaza.rakuten.co.jp/tetsupuravida/diary/200703040000/
「 自分らしく。」
http://plaza.rakuten.co.jp/tetsupuravida/diary/200703280000/
無邪気な笑顔のおじさん。
バスで16時間かけて辿り着いたのは
「 サンティアゴ・デ・クーバ 」
という古都。
街のあらゆるところに歴史を感じる
キューバ革命発祥の地です。
事前にチェックしていた宿を
探し歩いていると、
小さな広場で仲間とお喋りをしていた
おじさんに話しかけられました。
「 どこを探してるんだ?」
宿の名前を告げると
いきなり言葉は英語に変わり
「 オレは昔アメリカに行ってたから
少し英語が話せるんだ。
宿まで案内してやるよ 」
これは後で
お金を請求されるやつだと思い、
大丈夫だよ、ありがとうと伝えると
「 心配すんな、
お金をもらおうとはしないから。
行こう、行こう 」
その話し方と
どこかで見たことのあるような
無邪気な笑顔に大丈夫だなと思い、
ついていくことにしました。
3分ほど歩くと宿に到着、
しかし部屋はまさかの満室。
「 よし、その向かいのとこも
いい宿だから聞いてやるよ 」
ところが再び満室。
「 じゃあ、
あっちの道のとこに行ってみよう 」
が、またもや満室。
おじさんはその後も
一緒になって探してくれ、
5件目にしてようやく空室の宿を発見。
「 おお、よかった!
じゃあ、またな!
いい時間を過せよ〜 」
おじさんは無邪気な笑顔を浮かべて
あっさりと去っていきました。
チェックイン後
ちょっとゆっくりしてから、
中心地に向かおうと道を歩いてると、
さっきのおじさんに遭遇。
「 セニョール!
さっきはありがとう!
これ、ちょっとしたお礼。
何種類かあるんだけど、
全部日本のお金なんだ。
全然高いコインじゃないんだけどさ。
よかったらもらってよ 」
するとおじさん、
あの無邪気な笑顔で
「 ええ、もらっていいのか〜!?
嬉しいよ!ありがとう!
これが日本のお金なのか〜。
スゴイな〜。
ほんとありがとな!!」
本気で喜んでくれてるのが
伝わってきて、
こっちもさらに嬉しい気持ちに。
しかも、
さらなる嬉しさを実感する出来事が翌日に。
道で出くわしたおじさんが
一目散にうちらに向かってきました。
「 おい、見てくれ、見てくれ、
お前たちとの思い出!」
見せてくれたカードケースの中には
プレゼントしたコインが!
おじさんよ、
それはあまりにも嬉しすぎるぜ…
中南米での忘れらない思い出が
またひとつ刻まれたのでした。
そして
サンティアゴ・デ・クーバを旅立つ日の朝。
奥さんと
「 おじさんと会えたらいいね 」
なんて言ってると、
初めて会ったときの広場におじさんが!
ほんとこの人とは縁がある。
「 セニョール!
うちら今日この街を出るんだ。
会えてよかったよ!
ほんとありがとう! 」
その後おじさんがボソッとひと言。
でもその単語の意味が
一瞬わかりませんでした。
「 チップ 」
ん………???
「 チップ、チップ 」
そこでやっと意味がわかりました。
これまでの自分の行いに対しての
チップが欲しいとのことだったのです。
このタイミングかーーーい
「 いやいや、
うちらはあのお礼と思って
日本のお金を渡したんだよ 」
「 そっか、でもチップをくれるか?
YES or NO?」
なんか納得のいかないこの展開、即答で
「 NOだよ、申し訳ないけどさ 」
するとおじさん、
いつもの無邪気な笑顔を浮かべて
「 オーケー、オーケー!
まったく問題ない!いい旅をな!」
ズッコケました。
深いです、キューバ。
さらなる思い出をありがとう、おじさんよ。
『 未来のために
今を耐えるのではなく、
未来のために
今を楽しく生きるのだ。』
コスタリカ&キューバの食事。
親にスゴク感謝してることのひとつに
「 旅人仕様な身体 」に
育ててもらったというのがあります。
「 どこでも爆睡できる 」
「 何でも美味しく食べられる 」
おかげさまで
どんな宿に泊まっても大丈夫だし、
日本食のないツラさを味わうこともなし。
中南米ジャーニーでも
まったくもって困ることはありませんでした。
食べるものに関しては、
日常的にお米が食べられるので
( タイ米のようなお米ですが )
難易度は低いのですが。
今回は
現地で食べたものを写真でご紹介!
比較的似ているので分けずに一緒に。
で、家での食事、定食屋さん、
ちょっと高めのレストランなど
混ざっております。
とここまで食事の写真を
羅列しておいてなんですが、
一番印象に残った食べ物はフルーツ!
特に、コスタリカのパイナップル!!
衝撃の甘さ!!!
酸味の行方がわからないほどに甘い…
しかも丸ごと一個で¥200くらいという安さ…
パパイヤとバナナも
これまで食べたことのないほどに甘かったです。
時期がズレたら
これまた激甘なマンゴーが控えているので、
フルーツ好きにとっては
パラダイスですよ、コスタリカ。
『 食べるために生きるな。
生きるために食べよ 』
イギリスの諺
旅の出逢い。
キューバの首都
ハバナの長距離バスターミナル、朝7:00。
バスで5〜6時間かかる目的地
「 トリニダー 」へのチケットは
前日に完売してしまったのですが、
キャンセル待ちできるということで
朝早くにやって来ました。
ところが
いざバスターミナルに来てみると、
僕も奥さんもなんかモヤモヤ。
行きたい場所に対しての気分が
変わってきてしまいました。
「 せっかくなら行っちゃう?」
「 よし、行っちゃおう 」
そして目的地は、
バスで16時間かかるキューバ東部の街
「 サンティアゴ・デ・クーバ 」へと変更。
ここには
もともと行こうとは思っていたのですが、
なにせ遠いので途中の街を巡りながら、
刻んで刻んで向かおうと考えていました。
でも
「 16時間のバス移動の
予測できない感じも惹かれるなぁ…
しかもキューバで… 」
結局その気持ちが
お互い上回ってしまい目的地変更、
チケットも無事に購入できました。
出発は15:00だったので
待ち時間は8時間ほど。
待ち合い室でノンビリ待つことにしました。
奥さんが持ってきた、
谷川俊太郎さん、高田宏さん、
よしもとばななさんの対談集
『 ことばを生み出す三角宇宙 』を。
「 ぼくなんかでも、
わりと枠があったほうが
書きやすいところがあって、
題名が決められたり、
行数が限られているほうが
やりやすいとか、
それと同じようなことだと思います。
形というか器みたいなものが
必要だということは、
文章の上でもなんの上でも
必ずあると思うんです。」
意外だった谷川さんのその言葉。
顔を上げると
待ち合い室のテレビでは
スペインリーグの
「 バルセロナ vs マラガ 」
の試合が放送されていました。
確かにバルセロナにも器がある。
その器があるからこそ
余計な迷いがなくなって、
一人ひとりのパーソナリティが
より輝くんだよなぁ。
縛りつけるためではない、
より広がっていくための、
より自由になっていくための器は
今の日本だとどの分野であるんだろう…
「 日本人の方ですか?」
ふいに声をかけられ、
そちらを見ると
年配の日本人の男性と女性が。
「 どちらに行かれるのですか?」
そこからいろいろな話しになりました。
仕事は少し前に
リタイアされたということ、
1年に数回ご夫婦で
外国への旅に出るということ、
ツアーの旅は耐えられないということ、
辺境の地ほど行ってみたいということ。
僕たちも
自分たちの話しをするとご主人は
「 へぇ、似た者同士だね、嬉しいなぁ。
もしまだ時間あるなら、
そこの食堂で朝食でも
一緒にどうですか?」
そしていたずらっぽい笑顔を浮かべ
「 大丈夫、
お金はいっぱい持ってるから(笑)
ぜひぜひごちそうさせてください 」
みんなで食堂に移動して、
あらためて自己紹介を。
そして4人分のキューバサンドを注文。
「 ビールは飲めます?
せっかくの出逢いだから
乾杯しましょうよ 」
「 Bucanero 」という
キューバビールで乾杯。
その後も
それぞれの人生や旅のいろいろな話しを。
ビールを次々にお代わりしながら。
しかも早朝に。
楽しかったなぁ、ほんと楽しかった。
予期せぬ出逢い、予期せぬ展開。
まさに旅の醍醐味のひとつ。
「 この人(ご主人)は
飛行機でもバスでも
必ず窓際の席にすぐ座るんです。
で、飽きずにずーっと
外の風景を眺めてるんです 」
「 いや、だってさ、
うちらの見たこともない世界が
そこに広がってると思ったら、
それはやっぱ見たいじゃん、
見逃したくないじゃん。
オレは見たことのない世界を
これからもずっと見ていきたいんだ 」
気づけば、時間は10:00過ぎ。
おふたりのバスの出発が迫っていました。
「 もしよかったら、
僕の連絡先を渡してもいいですか?」
その申し出にご主人は
「 いやいや、
これは旅の出逢いってことで。
縁があれば、
きっとまたどこかで逢えるよ 」
そして、
まだしばらくバスを待つ僕たちのために
持ち帰り用のキューバサンドとビールのお代わりを置いて
「 どうもありがとうね、
ほんと楽しかった! 」
と颯爽と去っていったのでした。
どうもありがとうはこちらこそ。
また世界のどこかで!
『 旅人の目的地は場所ではなく、
世界を見る新しい視点だ。』
ヘンリー・ミラー(作家)